2010年6月28日月曜日

カメラが壊れた!

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● これは何?


 昨日のこと。
 手紙を出しにポストへ行った。
 もっとも近くのポストでも10分弱歩かねばならない。
 よって、手紙を出すときは散歩をからめてあちこち回ることにしている。
 いつものように、デジカメを指にぶら下げて出かけた。
 撮る写真は様々で、花、鳥、住宅の庭、町の風景、看板、貼りだされているポスターなどその時々に目に映ったものなら何でもいい。
 道路際のポストに投函して、空き地の前を通った。
 でかい空き地で「SALE」の不動産屋の看板には4300m2とある。
 1,300坪くらいか。
 子どもの野球なら楽に4面は取れそうな広さである。
 道路からちょっと入ったところに隣家の塀の上からの木が張り出し、大きな赤い花が咲いていた。
 これはいいと思って、柵を潜って空き地に進入し、カメラをむけてスイッチを入れ、スクリーンを見た。
 「アリャー!」
 スクリーン上に現れたのは上の映像。
 シャッターを押してみた、切れる。
 ということは撮影されている。
 望遠を引き出してみる、出る。
 が、シャッターを押したときに、レンズ前の開閉シャッターが開かない。
 ということは、で、再生してみる。
 映っているのも同じ。
 カメラ内部が撮影されているということになる。
 そして同じものがスクリーンに映っているということになる。
 
 散歩をやめて、すぐに家に戻って撮った映像をパソコンに映し出した。
 最初は明るかったのだが、だんだん弱くなっていく。
 バッテリーかな?
 でもバッテリーは「FULL」マークである。











 ビデオも撮っていたのでこれも見てみる。






 どう考えても自分で直すことなど不可能。
 確か取得したのは昨年9月。
 保証は1年あるし、5年の保証をつけておきました、と聞いた覚えがある。
 書類を引き出してみた。


● FUJI FILM 1年保証




● 「コジマ」の5年保証

 だいじょうぶ、購入日は2009年9月3日とある。
 早速、梱包して送ることにした。
 
 さて先ほど、郵便局へいって日本へ送った。
 小包送料「13ドル40セント」



 果たしてこういうものはどうやって修理するのだろう。
 たとえば、床におとしてしまったとか、ぶつけてしまったとかいうなら原因が分かりやすい。
 でも、このカメラそういうことは一切ない。
 突然、故障の症状が発現した。
 それも購入して1年たたないうちに。
 ということは初期エラーということになる
 珍しいことだ。
 デジカメだからコンパクトで分解して組み立てても、故障が’ソフトならどうにもなるまい。
 撮影はできるし、望遠レンズは出てくるし、パソコンへの取り込みはできるし、メカ的に故障しているとは思えない。
 とするとソフトが怪しくなってくる。
 人手で修理するよりも、交換の方がてっとり早くて確実だろう。

 こちらでの保証はすべて交換である。
 というのも、修理する技術がない。
 これはしかたがないこと。
 自国でカメラを作っているわけではないから、技術者はいない。
 さらに、日本、韓国、アメリカの数十社にもおよぶカメラを店頭販売しているわけで、そのすべてに対応できるわけがない。
 例えば修理に日本に送り、修理し終えて戻ってくるまで3週間はかかる。
 よって保証とは修理保証ではなく、交換保証になる。
 といっても同じものを交換してくれるわけではない。
 仕入れたものを売り切ってしまえば、交換するブツがない。
 よって、「同価格製品交換保証」になる。
 つまり、FUJI-FILMのカメラが、交換保証でPANASONICになったり、CASIOとなることもあるわけである。
 
 ここに引っ越してきたときは一眼レフをもってきた。
 リコーのシングレックスというカメラであった。
 ドロボウに入られ盗まれた。

 次は初期のコンパクトデジカメで充電型の小さな乾電池2本で動いた。
 光学望遠はなく、ソフトで制御したデジタル望遠1.25倍がついていた。
 メモリがまだまだ小さくファインモードで撮ると二十数枚しか撮れなかった。
 でもフイルムカメラの、12枚撮り、24枚撮り、36枚撮りに慣れていると24枚撮りのカメラと思えばさほどに不便を感じなかった。
 が、やはりこれでは物足りない。

 つぎは、5倍望遠のコンデジ。
 これはいわゆる現代版。
 十分なメモリ容量を持っていた。
 が、また盗まれた。
 車に入れておいたのだが、その車が盗まれた。
 車は出てきたが、カメラはサッパリと消えていた。
 デジタルカメラというのは、電池で動く。
 電池のほかに充電器というものも必要になる。
 ここで販売されているカメラの型式を日本語サイトで検索しても出てこない。
 つまり、国内用と海外用では型番が違うのだ。
 と同時に、明らかに分かるのは国内用はスペックが高いが、海外用は低い。

 例えば電気製品の「サムソン」ブランドは3年保証をつけられるが、3年たつと見事に動作不能になる。
 つまり、3年の耐久試験しかしていないということ。
 3年耐久部品を集めて完成品を作っている。
 何しろ昨今の工業製品はすべてエレクトロニクスでできている。
 こいつがまずいのは、使われている数百ある部品の一つでも壊れると他の良品の部品まで反応しなくなるという性格をもっている。
 その代わり、8割方で安価である。
 つまり3年しか動かないと分かって、安く買うということである。
 「安く買える」というのが魅力の製品なのである。
 耐久性については購入のとき考慮の対象にならないのである。
 壊れても、安かったのだからしかたがないと諦められる。
 
 ところで、盗んだカメラを使うためには、その充電器を購入しないといけない。
 電池の仕様はカメラそれぞれに違うのではないかと思うほどバラバラである。
 車なら日本車でも海外車でもガソリンを入れれば動く。
 カメラはそうはいかないのだ。
 こちらで市販されていない電池が数多くあるのだ。
 さらに使用されている電池にフィットするような器具が別に必要なのである。
 国内用と海外用では仕様が異なるとすると、果たして盗んだカメラは使用に供することのできるものなのであろうか。
 
 この5倍望遠使いやすかったので、また同じものを日本から取り寄せた。
 今度は盗まれなかった。
 が、ガレージの床に落としてしまった。
 ケースに入っていなかったので、そのまま「ガチャン」と音がしてコンクリートタタキに激突。
 バッテリーケースの蓋が開き、バッテリーがカメラ本体から飛び出した。
 こりゃ、ダメだ。
 ああでもないこうでもない、とやったがどうも、といったところ。
 いつもならバッテリーを押し込むと「カクン」とロックがかかるのだが、それがダメ。
 しかたがないので、フタをするとき、バッテリーを押し込んでフタでロックすることにした。
 これで何とかいった。
 ではそれで実際カメラは動いたかというと、あれほどの衝撃をくらったにもかかわらず、正常に動作したのである。 
 昨今のカメラは実に丈夫にできているものだと感心した。
 そういえば、IBMのノート型パソコンは象が乗ってもつぶれないというCMが以前にあったが。
 でも、バッテリーを充電するために取り出すときは慎重にしないといけない。
 フタを開けると、ピョンとバッテリーが撥ね出てくるからだ。

 さて、最後に買ったのが今日送り返したカメラ。
 5台目のカメラになる。
 10倍望遠がついている。
 スペアバッテリー(これ、結構高い)をつけ、メモリーも4GBである。
 でも、何もしないのに10カ月ほどで、エラーとなったわけである。
 カメラが壊れるなんてことは、はじめての経験である。
 こういうこともあるんだな、と感心してしまった。
 購入価格3万円、いまならドットコムで1万5千円で購入できる。
 ところが、先ほどドットコムで調べたら3万円で販売しているところがある。
 いったい、この日本国内での倍値段の差というのはどうなっているのだろう。
 郵送料を考えても、倍値段で買う人がいるのだろうか?

 送る前に5倍望遠のカメラで撮った10倍望遠カメラの?マークの勇姿。









 最安値の1万5千円としてバッテリーの値段を抜くと本体は1万円前後。
 ということは卸で7千円くらいだろうか。
 さてこの金額を考えると、修理の件だが、実際に分解修理されて返ってくるのか、それともそっくり
交換になるのか
 さあ、どうなるのか。
 ちょっと楽しみである。
 <性格が悪いな!>





● 花いろいろ

2010年6月22日火曜日

「ゴルフ夜明け前」:桂三枝

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● 昭和62年4月10日 第一刷


 この地には数多くのゴルフ場がある。
 ゴルフをしたいなと思ったら、近くのゴルフ場へいけばビジターでほとんどすぐにやらせてくれる。
 待っても1時間である。
 それにプレーの代金もすこぶる安い。
 とすれば、ここに住む大半の日本人がゴルフをやると思われるが、そうではないらしい。
 やらない人も結構多い。
 「やれないからやりたい」、
という気が起きるので、いつでもお手軽にできるとなると意欲がそがれるのかもしれない。
 なにしろ、半ズボンでスニーカーでやるのがここの流儀である。
 人をひきつけるのはなんといってもマリーンスポーツ。
 ゴルフはそれより少しランクが落ちる。
 マリーンスポーツというのは、何しろ金がかかる。
 ヨットの高尚さにはとてもゴルフは叶わない。
  
 私はゴルフをやらない。
 なのにどういうわけかゴルフ用具を2セットもっていた。
 日本に帰る人が置いていったものである。
 スペースをとり、動かすのに面倒なので古いほうを捨てた。
 といってもあの長い鉄の棒のこと、そのままゴミバコに入れるわけにもいかず、電気グラインダーで半分に切って捨てた。
 残る1セットはガレージに置いてあるが、これが超じゃまくさい。
 なにしろ重い。
 ゴロゴロして自立しない。 
 持ち運びに面倒なのである。

 昔のこと、OSがまだMS-DOSであったころ、
 「はるかなるオーガスタ
というパソコンのゴルフゲームがあった。
 コピーでもらってやっていた。
 そのころのゲームなのでタカが知れている。
 たとえば、マージャンゲームもあったが、最初のうちは負けていたがそのうち圧倒的に私の勝ちになってしまった。
 組み込まれているソフトの動きがわかってしまったからである。
 いまではとても勝てないだろう。
 なにしろメモリーの飛躍的向上から、実に複雑な先読みができるようになっているはずだからである。
 ゴルフも同じであった。


 今日、インターネット・ニュースを見ていたら、桂三枝のニュースが出ていた。

スポーチ報知 2010年6月22日10時28分
http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/gossip/entertainment/news/20100622-OHO1T00124.htm



 桂三枝が上方落語協会会長に再選「70歳まで頑張る」
 70歳までの会長職に意欲を見せた桂三枝

 上方落語協会は21日、任期満了に伴う会長選挙を行い、現会長の桂三枝(66)が再選された。
 任期は22日から2年間。
 2003年7月の就任から通算5期目で、2004年に協会が社団法人認定を受けてからは4期目となる。

 会長として天満天神繁昌亭の隆盛を築いた三枝だが、まだまだ精力的。
 事務所やけいこ場を備えた「上方落語協会会館」の設立を目指すほか「新たに40歳以下の落語家で若手執行部をつくりたい」とも話した。
 副会長職は笑福亭鶴瓶(58)に続投を要請する予定だ。

 上方落語協会には220人の落語家が所属。三枝は有効投票総数186票のうち135票を獲得し、これまでの会長選で最大の得票率(約73%)だった。
 「あと2期、70歳まで頑張って後進に譲りたい」と、2年後の再選にも意欲を見せた。


 三枝が落語家であることはもちろん知っている。
 彼の落語もよくテレビで見たものである。
 が、どうも私のイメージにある三枝はお笑いタレントなのである。
 「新婚さんいらっしゃーい
という番組の司会者であり、その後に「こんなことしてちゃアカン」と悟り、身を入れて落語をやり始めたといったイメージなのである。


(註:新婚さんいらっしゃい)
 新婚夫妻を視聴者から募集し、毎週2組の結婚生活、婚約までのエピソード等を聞く。
 司会の桂三枝は第1回の放送から現在まで司会を担当しており、2010年6月時点で実に39年に渡り司会を続けている。
 これは日本のテレビにおけるバラエティ番組史上の最長の司会記録である


 その三枝が落語協会の会長になって、6年もその椅子を暖めているという。
 そして、まだまだ「若いもんには席は譲れん」といって頑張っている。
 七十まで10年やるつもりらしい。


 先日、古本屋で買ったのが上の桂三枝の『ゴルフ夜明け前』である。
 私はゴルフはしないのでゴルフというタイトルの入った本は買わないことにしている。
 が、これには手が動いた。
 桂三枝が小説を書いている、という不思議に思わずちょっと迷ったためである。
 読んでいて、この
『ゴルフ夜明け前』という標語は、三枝の人生を変えるほど大きいものであることを知った。
 この
『ゴルフ夜明け前』というのは三枝の「創作落語」の題名である。
 これが「1983年文化庁芸術祭大賞」を受賞したのである。
 このことによって三枝はお笑いタレントから、真の落語家になったといってもいい。

 この落語、ニコニコ動画にありますので聞くことができます。

落語 桂三枝 ゴルフ夜明け前
http://de.nicovideo.jp/watch/sm8412167


 またCDにもなっています。

桂三枝大全集~創作落語125撰~第1集「ゴルフ夜明け前」「ロボ・G」
# CD (2001/10/30)
# ディスク枚数: 1
# キングレコード



 この落語をベースにして書かれたのが
 小説『ゴルフ夜明け前』
である。
 この「あとがき」に作品が生まれた経緯が書かれている。

 わたしが『ゴルフ夜明け前』のストーリーを思いつくきっかけは、今から8年ほど前、TVの録画撮りのために長崎に行ったおり、出島の資料館にフラリと立ち寄ったのですが、そのとき、ガラスケースに収まっているゴルフのクラブとボールを見たことからでした。
 「コルフ」と書かれていたのになぜか興味引かれたのです。

 その後、創作落語活動を始めた時、なんとかゴルフをネタにやってみようと思いつき、資料館に問い合わせたところ、出島のオランダ屋敷から出てきたものだが誰がどのように使っていたのかはわからないということでした。
 いつ日本に入ってきたのか分からないけれど、明治になる前に日本に入っていたのは事実だからと思って、坂本龍馬と近藤勇のゴルフの場面を中心に落語を作りました。
 そしてそれを、東京の紀伊国屋ホールで芸術祭参加の形で演じる機会を得、またそれがどういうはずみか、「昭和58年度芸術祭大賞」に選ばれました。
 そして、何度か高座で落語を演じるうちに、もっと龍馬と近藤勇を知りたいと思うようになりました。
 そのぐらい、私の中で愛すべき落語の登場人物になっていたのです。

 そのうちに、落語では時間的な制限があって長くはできませんので、なんとかストーリーを膨らませるには小説にするしかないと思い至ったのです。
 ところが、なにせ初めて書く小説なので、どこから手をつけていいのか分からず困っておりました。
 時間はどんどん経っていくし、そのうち小説のことも忘れてしまっていたのですが、NHKの長崎支局の方から対談の仕事を頂きました。
 対談のお相手は、ある女子大の先生だったのですが、前に出島の資料館の館長を努めたこともあるとのことで、喜んで仕事を引き受けたのです。
 そこで意外な話を聞きました。
 
 例のゴルフのボールとクラブは、オランダ大使館から贈られたもので、どうやら昔の物には違いないのですが、ゴルフのクラブとボールではなく、船に使う道具だったようなのです。
 
 それを」聞いてがっかりしたのですが、反対にファイトが湧き、私を呼んで下さったNHKの山登デイレクターに話をすると、長崎県の資料館に当時の資料があるかもしれないと、わざわざあくる日朝から付き合っていただいたのです。
 村上直次郎訳の商館日記は資料が膨大で、訳の途中で亡くなられたから、ひょっとしたらないかもしれないということでしたが、イギリスですでに流行していたゴルフが日本に入っていないことはない。
 全部訳されてないとはいえ、すごい量の商館日記に目を通す作業は大変だったのですが、幸いにも見つけることができました。 
 

 山登さんの協力を得て、小説にする勇気が湧いたのです。
 仕事の合間を見て書き出したのですが、高知弁と和歌山弁については、弟子の三造と三歩がちょうど高知と和歌山の出身でしたので、なんとか雰囲気は出せたと思います。
 それに、小説の中で創りだした島岡伸吉は島田伸助をモデルにしましたし、杉本嘉助は明石家さんまをモデルにといったあんばいで、おかげでイメージをつくりやすい人たちがそばにたくさん居てくれたので助かりました。

 昭和62年春 桂 三枝

 
 そして日の目をみることになったのがこの小説。
 発行日は「昭和62年4月10日」


 
 そしてこの年の12月には、小説をベースに映画が作られる。
 予告編のビデオをさがしましたが、ちょっと見当たりません。
 バッケージの表紙から。








 ところで、このサイトに桂三枝著の小説『ゴルフ夜明け前』を載せたのは、別に三枝が落語協会の会長に五選されたのをお祝いしたいからではない。
 なにしろ二十数年も昔の本。
 amozon.comで探すと「¥1、送料¥340」というのが数冊出てくる本である。

 実はこの本の裏表紙に三枝のサインがあるのである。
 サイン本は古本屋でときどき見かける。
 私自身も2,3冊のサイン入りの本を持っている。
 私自身がサイン会場にいってもらったわけではなく、偶然に親戚等から回ってきたものである。
 問題なのはただ三枝のサインのみがあるわけではないということである。

 


 おそらく想像では、昭和の末年の頃、三枝はこの地にやってきてゴルフをした。
 そこでお世話になった人、あるいは一緒にプレイをした人がいる。
 その人に贈呈したのが、自作の小説。
 サインをつけて。
 三枝がこの地でゴルフをしていた頃、私は日本で往年の名機、NEC-PC9801で「はるかなるオーガスタ」でゴルフゲームにうつつを抜かしていた。
 なんともこの差の大きいこと。

 そしてその方、諸般の事情で日本に戻ることになったのかもしれない。
 家を処分し、車を売り、そして家具・什器・小物、書籍などを売り払った。
 其の中に、この小説があった。
 手にした感じでは少々弱っていた。
 多くの人の手を渡ってきたのであろう。
 ということは、多くの人がこの本を手にして、そして戻すという作業を繰り返してきたのだろう。
 今は、偶然にも私の手元にある。
 このサインをみたとき、なんとなくほほえましくなった。
 今から二十数年も昔に、三枝がやってきてこの地でゴルフをした。
 その証ともいえる彼が日本からもってきた本は、長い間本棚にしまいこまれたていた。
 が、ようよう出されて、ここに住む人たちの手の中を回っているのである。
 ほこりをかぶった本には価値はない。
 人の手を経ることによって、輝きだす。
 いまこの本は輝いているということだろう。
 三枝の口ぞえを得て。

 最後に三枝の若き日の映像。



 本の裏にあった三枝の紹介からです。
 五選された写真と見比べてください。
 キリリと目元が渋くいい男です。
 



[◇]
 「はるかなるオーガスタ」を調べてみました。
 Wikipediaより。

 『遙かなるオーガスタ』(はるかなる - )は、T&Eソフトから発売された3Dゴルフシミュレーションゲームシリーズ。

 実在するオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブを独自の3D描画技術「POLYSYS」(ポリシス)によってコンピュータ上に再現し、従来の2D、あるいは疑似3Dのゴルフゲームとは一線を画したリアルなゴルフシミュレーションゲームとして人気を博した。

 そのルーツはFM-7やPC-8801といった8ビットパソコンで発売されていた「3-Dゴルフシミュレーション」(1983年)に求められる。
 1989年、2Dと3Dポリゴンを融合したリアリティのあるフィールドを高速描画するシステムを「POLYSYS」と名付け、その技術を用いた第一弾として、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブとライセンス契約を結んで開発された「NEW 3D GOLF SIMULATION1 遙かなるオーガスタ」(対応機種:PC-9801)がリリースされ、当時としては唯一といってよい、起伏の再現されたリアルなコースが高い人気を得た。


 このソフト、もうありません。
 なにしろ、NEC-PC9801がこの世から消えてしまいましたから。
 ついでにフロッピーデイスクなるメモリ媒体も。

 「昔は遠くなりにけり

 そんな中で昔の肉筆に出会うと笑みがこぼれるのは私だけでしょうか。






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● 花いろいろ

2010年6月20日日曜日

カンペイ、トルクメニスタン砂漠に帰還す

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● カンペイ、アースマラソン再スタート



 野口さんのカザフスタン砂漠への帰還。
 「はやぶさ」のウーメラ砂漠への帰還。
 そして、カンペイがトルクメニスタン砂漠に帰還しました。
 アース・マラソンが再スタートしました。
 ダイジョウブなんでしょうか。

 放射線治療といえども完治したわけではなく、一時的にガンをおさえ込んでいるだけ。
 よってガン細胞は後日また増殖をしはじめるはずである。
 そうしたらまた治療にかからねばならぬ。
 次の治療にあたったときは、もう帰還は叶わぬと思わねばならない。
 走れなくなる可能性も大きい。
 その前にアースマラソンを完走しておきたいというのが、カンペイの希望だろう。
 よって若干の無理は承知の上ということ。
 なにしろ時間との闘いに入っている。
 おそらくこれが最後の勝負

 個人的なことを言えば、姉はガンで亡くなった。
 今の私と同じ歳に。
 ガンの治療は煎じ詰めるところ一つしかない。
 早期に発見し、完全に除去してしまうこと。
 つまりはるか昔と同じく、単純な物理的治療法しか今のところ手がないということ。
 さほどに、ガンは強烈。
 化学治療は、あくまでもいっときの治療に過ぎない。
 早期発見を逃したら、ガンとの共存生活がはじまる。
 ガンは抗体が強い。
 以後の物理治療・化学治療に対してさまざまな変化をして生き延び増殖し、そして体を蝕む。
 切り札としては、遺伝子治療しかないないというのが現状だろうが、これについてはいまのところ見通しはたっていない。
 ガンは死との共存生活でもある。
 「死」というもに腹をくくらないといけない。
 
 おそらく、来年3月までが勝負。
 いまのカンペイは、
 「死にもの狂い
である。
 次にガンが増殖したら、おさえ込めるかもしれないが、でも走るというわけにはいかないだろう。
 「天」が「運」がカンペイに微笑みますように。


[earth-marathon-blog:03187]  再スタート!
6月18日 DAY549 午後9時5分(日本時間午前1時5分) 気温39℃
http://www.flickr.com/photos/earthmarathon/4713543226/

549日目、スタート!

 イランとトルクメニスタンの国境に程近い“SERAGT(セラート)地方”の、
 マーキングポイントより、寛平さんは再スタートしました。

 日中の50℃の中を走る事は出来ないので、
 こんな日没後の夜からのスタートとなりました。

 足に関しては相変わらず「痛い」と言ってはいるものの、
 寛平さんの気持ちの中では、とにかく一歩でも前へ進みたいというのが大きいようです。

 お待たせしました。
 2ヶ月間応援してくれた皆さんのために、
 そして日本で待っている皆さんのために、
 なによりも自分自身のために、
 寛平さんは再び走り始めました。




[earth-marathon-blog:03190]  549日目、ゴール!
http://www.flickr.com/photos/earthmarathon/4713570722/

549日目、ゴール!

 行き交う車の危険や、夜でも灼熱のトルクメニスタン、そんな中、久しぶりのRUNも無事にゴールしました。
 寛平さん「トルクメニスタンのRUNはホンマにしんどいわ!」
 足もかなり痛いようですが、ホテルまでは300km以上離れているので、とりあえずこの後夕食を取り、野宿します。



スタート  現地時間6月18日(金)21:05(日本時間19日(土)1:35)
ゴール   現地時間6月19日(土) 0:38(日本時間19日(土)5:08)
走行距離 20.5km
累計距離 32532.5km


 ビデオがあります。
 Tシャツの後ろには「前進」と書いてある。
 悲願だろう。
 走り終わって「足が痛い、痛い」といっている。
 そして、再スタート初日から野宿。
 この夜中、ホテルは開いていないし、それに翌朝早くの出発とすると、そうせざるしかないのだろう。
 何か波乱に飛んだ幕開けである。



ビデオ Day549 RESTART!!
http://www.youtube.com/watch?v=6duQRJChEJc&feature=youtube_gdata 



 以前にオーストラリア一周マラソンに挑んで、過去の記録を塗り替えたランナーのドキメンタリーがあった。
 十分なスポンサーなどないので、家族のキャラバンカーがサポートについており、常時の宿泊はこのキャラバンであった。
 キャラバンで大陸一周する人は多い。
 リタイヤしたら、キャラバンを引いて大陸をとめどもなくさ迷うのが、オーストラリアンの夢とも聞いた。
 そのため、早めのリタイアを誰もが希望している。
 50歳になったら、さっさと仕事をやめ、4WDにキャラバンカーをつなげて、旅出する。
 でも昨今のガソリン代の高騰は、その夢を壊し始めている。
 長年のことで、ここのキャラバンカーは実によくできている。

 それと比較すると、トルクメニスタン砂漠の野宿というのはきついだろう。
 しみじみそう思っている。
 カンペイは必死である
 名前ではないが、「生と死の間で」走らねばならぬ。



[◇]
 

テレ朝news (06/20 09:39)
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/geinou/geinou_news/contents/hot_20100620_050.html


 前立せんがんの治療のため「アースマラソン」を中断していたお笑いタレントの間寛平(60)が現地時間18日夜、トルクメニスタンから再び走り始めた。
 65日ぶりの再開。午後9時5分、気温39度の中、少し緊張の面持ちでスタート。
 治療前に比べると時速は2キロ程落ちたが、3時間33分で練習の倍の 20.5kmを無事走り切った。
 再スタート初日を無事終えた寛平は、「足がめちゃめちゃ痛くて…でも走れたから…」と疲れを隠せない様子。
 「今までみたいにはいかないんですけど、進めたということでホッとしている」と話し、応援するファンに「本当にみなさん、ありがとうございます。(足は)動きます!大丈夫です!」
と気丈にメッセージを送った。治療でのブランクを物ともせず、マラソンの開始当初と変わらず2011年春までの日本到着を目指す。
 寛平は、今年 1月にがんを公表。
 4月15日にマラソンを一時中断して、米サンフランシスコで放射線治療を受けていた。




公式ブログ 2010.06.20 [DAY551]
http://www.earth-marathon.com/2010/06/20/083006.html
550日目、ゴール!



 気温がかなり上がってきたので、これからは、木陰で午後7時位まで休憩です。
 昼食も食べれない程、バテバテの寛平さん!
 とにかく水をたくさん飲みながら、睡眠を取って、少しでも体力の回復を目指します。
 その後、食事を取りRUN再開なのですが、、、、。
 太陽の動きで木陰の位置も変わるので、その都度起きて直して寝ます。
 トルクメニスタンの砂漠、かなり手ごわいです。




 本日も深夜0時越えでゴールです。
 「あともうちょい、あそこまで」と何度も言いながら、
 後半のRUNは20kmも軽く超えて走りました。
 走行距離 40.4km(前半16.4km 後半24.0km)
 所要時間 7時間39分(前半3時間13分 後半4時間26分)
 総移動距離 32,572.9km
 寛平さん「もの凄いハエに集られてるわ、俺は腐りかけか!それともク○か!!」
 いろいろな条件がRUNに剥いていないにもかかわらず、かなり前へ進みました。


 翌日は、40キロ走っている。
 体力は戻ってきているようである。
 ちょっと、ホッツとしている。
 が、はじめの1週間くらいは無理せず、うちわで収め体慣らしをする必要があるのではないだろうか。
 気持ちは分かるが、チョット、気がせいているように思える。

 向こう1週間は野宿が続くという。
 日中の気温は50度。
 よって40度になると走り始める。
 そしてついに「さいならオジサン」の言っていたサソリが出現する。
 ではその野宿とは、砂漠とは。


ビデオ 2010年06月20日 [Day550]
http://www.youtube.com/watch?v=RDyulitsZ38&feature=youtube_gdata


 が、あまりのすごさについに野宿を回避することになる。
 1時間半かけて、ホテルに退避となったようです。
 決して楽ではない船出である。





● 花いろいろ

2010年6月16日水曜日

「TAO」がやって来る

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● 「TAO」パンフレット表紙


 昨日のこと。
 ちょっと図書館へ寄って、文庫本を3冊ほど借りてきた。
 帰ろうと思いながら、玄関ドアの横にあるパンフレット棚をひょっとみた。
 "T" "A" "O"
 という文字が目に飛び込んできた。
 「もしかして、もしかしてTAOか?」
 パンフレットを引き出した。
 そうである。
 そうなのである。
 「TAO」である。
 TAOが来るのだ!
 彼らがやってくるのだ!
 2年ぶりである。

 何時だ。
 来月の23日。
 行かねばならない。
 絶対に行かねばならない。

 タイトルは
 「THE SAMURAI OF DRUM」
 「ドラムのサムライたち
 前回は
 「THE SENSATION FROM JAPAN」
 「日本の感動」
であった。
 芸人から「サムライ」になった。
 いい、いい、認める、認める!



 こちらには3つほど月刊の日本語新聞がある。
 それらのどれにも載っていない。
 もしかしたら載っているのかも知れない。
 が、まだ私がその新聞は手にしていないだけなのかもしれない。
 そう、出ないわけがない。
 が、そうではない。
 「25today」のイベント情報にはまだ載っていないのである。

 パンフにはスケジュール表が載っている。
 下記のものである。
 全豪10カ所で今月19日から来月24日まで公演する。


 中に複数日の公演も混じっている。 例えばパースでは「6月22日~26日」とある。
 どう考えても5日連日、あの打ち込みをできるはずがない。
 ということは22日と26日が公演日で、中日はもしかしたら日本語学校などの訪問があるのかもしれない。

 前回は東海岸からグルリと回った。
 今回は逆に西海岸から回って東に抜けて来るようだ。
 ラストはブリスベン。
 その前日がゴールドコースト。
 行かねばならぬ。


 今日、アートセンターにすっ飛んだ。
 残念ながら、いい席はすでに埋まっていた。
 まあ、しかたがない。
 オーストラリアで最も著名な日本の楽団といえば間違いなく「TAO
 それ以外はない。
 となれば、3日後から始まるツアーの席が日ごとに消えていくのはしかたがないこと。


 「ザ・サムライ
 免許皆伝の「打ち師」たちが叩きまくるのだ。
 アートとパワーとパフォーマンス。
 身動きできない迫力でおしよせてくる。
 サムライにして職人、そして芸の達人。
 スピード、スリル、そしてスペクタクラー。
 息詰まるほどのビート。

 オーストラリアンだって彼らが来るのを待っているのだ。
 だから席が消えていく。
 アートセンターの客席を埋めるのは彼らであって、日本人ではない。
 最後に総立ちで拍手を送りたいのだ
 「ブラボー!」と。
 満員御礼、まちがいなし。
 そこそこの席がとれればめっけもの。
 時が過ぎれば席そのものがなくなる。



 シニア割引で「$74.9」
 つまり、75ドル。
 これはハーフマラソンエントリーと同じ費用。
 マラソンは苦しみの代金。
 でもTAOは歓喜の代金。
 一般はいくらなのだろう、聞くのを忘れた。
 楽しみである。
 圧倒的に楽しみである。


 サイトからビデオを。

TAO Samurai Magical Drumming
http://www.youtube.com/watch?v=n-k2etYCcig&feature=related

TAO
http://www.youtube.com/watch?v=FCPSHMmqHno&feature=related

TAO - 和太鼓
http://www.youtube.com/watch?v=MIW5JNp6ZfU


 君はこの感動から顔をそむけることができるか!

TAO世界への挑戦
1/5
http://www.youtube.com/watch?v=UIpuD5mdZFg
2/5
http://www.youtube.com/watch?v=MYvwbHXC0-w&feature=related
3/5
http://www.youtube.com/watch?v=INfssJSuaII&feature=related
4/5
http://www.youtube.com/watch?v=Az0z3V6Tef4&feature=related
5/5
http://www.youtube.com/watch?v=Nwhw8FMISiM&feature=related


 前回の2008年の「オーストラリア・ツアー」のテレビショウから。


2008 AUSTRALIA TOUR Footy Show
http://www.youtube.com/watch?v=wWQS8VG_R6s&feature=related

2008 AUSTRALIA TOUR Mornings with Kerri Anne
http://www.youtube.com/watch?v=BzBs73EqQlw&feature=related






● 花いろいろ

2010年6月15日火曜日

トトロの家

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● 本当の「トトロの家」「トトロの木」「トトロの森」


 昨日のニュース。

NHKニュース 6月14日 18時31分 ビデオあり
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100614/t10015103631000.html

“トトロの森”雑木林を取得 

 映画「となりのトトロ」の舞台とされる狭山丘陵を保存し、後世に伝えていこうと取り組んでいる財団が14日、新たに丘陵の周辺にある埼玉県所沢市の雑木林を取得しました。

 狭山丘陵は所沢市から東京・瑞穂町にかけておよそ3500ヘクタールにわたって広がる首都圏では数少ない緑豊かな丘陵です。
 自然保護団体などでつくる「トトロのふるさと財団」は、全国から寄せられた募金などで狭山丘陵や周辺の雑木林を取得し、「トトロの森」として保存するナショナルトラスト運動を進めています。
 そして14日、狭山丘陵から北に4キロほど離れ、エゴノキやコナラなどがうっそうと茂る所沢市北中4丁目の雑木林、5200平方メートルをおよそ3,700万円で新たに取得しました。
 この結果、財団が取得した狭山丘陵とその周辺の土地はあわせて12か所、およそ2万4500平方メートルまで広がりました。
 「トトロのふるさと財団」事務局長の荻野豊さんは「今回買い取った雑木林は緑豊かな貴重な場所なので、手入れをして武蔵野の里山としてとして残していきたい」と話しています。


 あれ?
 トトロの森、トトロの家、そしてネコバスはこの地にあると聞いていましたが。
 稿頭の写真がその「トトロの家」であり「トトロの木」です。

 トトロのビデオ。


となりのトトロ -My Neighbor Totoro- A Cappella
http://www.youtube.com/watch?v=zGn8xONcpOY



 まず「トトロの家」から。


トトロの住む家 (単行本)
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%83%88%E3%83%AD%E3%81%AE%E4%BD%8F%E3%82%80%E5%AE%B6-%E5%AE%AE%E5%B4%8E-%E9%A7%BF/dp/4022563850
# 単行本: 74ページ
# 出版社: 朝日新聞社 (1991/12)
# 発売日: 1991/12

● By なら夫
 宮崎駿監督の『となりのトトロ』を観て、すべての人が、トトロや、猫バスだけに目を奪われていたわけではないでしょう。
 キャラクターや、ストーリーそのものよりも、もしかすると、メイや、サツキが引っ越してきたオンボロ家の方に、心奪われた人も多かったのではないでしょうか。
 この本はそういう人たちには間違いなく共感を持って迎えられる本だと思います。
 本の内容は、宮崎駿本人が、「トトロが喜んで住みそうな懐かしい家」というテーマでみつけた東京近郊の6軒の家を、彼自身のイラストと、和田久士の写真を交えながら紹介しているものです。
 紹介されている家は、決して、高級な、あるいは、立派な家というわけではないのですが、たとえば、なんでもなさそうな家なのに、「どんな人が住んできたの!だろう。」「どんな人が住んでいるのだろう。」そんな風に、何故か心に引っ掛かってしまいそうな、なんとも不思議な引力(?)を持った家ばかりです。


 上は「Amazon.co.jp」に載っている書評です。
 中古本では千円前後で5件出ていました。
 残念なことにこの本を私は読んでいません。
 日本にいればすぐに取り寄せて、確かめてみるのですが。
 『宮崎駿本人が、「トトロが喜んで住みそうな懐かしい家」』
とありますが、これどれもが普通の家。
 つまり人の住む家。
 どうしてここに大人には見えないトトロが住むことができるのだろうか?。

● 杉並区阿佐ヶ谷ににあるトトロの家(近藤宅)


You Tube 阿佐ヶ谷のトトロの住む家
http://www.youtube.com/watch?v=j74h1Rzsoz4


 
 では「トトロとは何者なのか?
 Wikipediaでにはこうある。


 トトロ(大トトロ。初期の設定ではミミンズク)
森の主であり、この国に太古より住んでいる生き物。
 毛色は灰色で、たいてい塚森にあるオオクスの虚で眠っている。
 子供にしか見る事ができない。
 まいたばかりの種を一瞬にして木に成長させたり、回転するコマの上に乗って空を飛んだりする。
 月夜の晩にオカリナを吹いている。
 メイが最初に「トトロに会った」と言い出した際、サツキは北欧の伝承に登場するトロルのことかと述べたが、実際の由来はメイに名前を問われた時、トトロが「ドゥオ、ドゥオ、ヴォロー(眠いよー)」という声を上げ、これをメイが名前だと思い込んだことによる。

 中トトロ(初期の設定ではズク)
毛は青く、よく木の実が入った袋を持っている。小トトロより一回り大きく、胸には大トトロと同じ模様がある。
 小トトロ(初期の設定ではミン)
 映画コミック等では、チビトトロと表記される事もある。






 ミミンズク」っていうのはナニ?

 「トトロ」の名前は「所沢のとなりのお化け」に由来している。
 初期の設定では、大トトロは「ミミンズク」で1302歳、中トトロは「ズク」で679歳 、小トトロは「ミン」で109歳。


 どうも「ミミンズク」というのは「ミミズク」から転じたらしい。
 ミミズクをWikiprdiaで見てみる。




 ミミズク(木菟、木兎、鵩、鶹、鵂、角鴟、鴟鵂、耳木菟、耳木兎)は、フクロウ科のうち羽角(いわゆる「耳」)がある種の総称。
 古名はツク、ズクとも。
 フクロウには含めることと含めないこととがある。

 羽角とは、哺乳類の耳(耳介)のように突出した羽毛である。
 俗に耳と呼ばれるが、ミミズクに限らず鳥類に耳介はない。

 ミミズクの語源には諸説あり、以下のようなものがある。
* 「耳付く」もしくは「耳突く」の意味。ツクはミミヅク(ミミズク)の略で、実際はより新しい表現。
* ツクは「角毛」の意味。原義が忘れられた後、さらに「ミミ」をつけて呼ぶようになった。
* ツクは「鳴く」の意味で本来フクロウ・ミミズク類の総称(現にアオバズクに羽角はない)。耳のあるツクがミミヅク(ミミズク)。

 漢名木菟・木兎(ぼくと)は、樹上性のウサギの意味(菟は兎に同じ)で、羽角をウサギの長い耳になぞらえたもの。
 鵩(ふく)・鶹(りゅう)・鵂(きゅう)は1文字でミミズクを表す。
 角鴟(かくし)・鴟鵂(しきゅう)の鴟はトビ・フクロウ類の総称。耳木菟・耳木兎は漢名ではなく、ミミヅク(ミミズク)のミミとツクにそれぞれ漢字を当てたもの。


 とすると、トトロとは鳥
 それも「耳をもつフクロウ」という。

 そのフクロウであるトトロが何故に人の住居に住みたいと願望するのか。
 まず、ありえない。
 とすると、どうなるのか。
 「トトロの住みたい家」ではなく、
 「トトロの作家の住みたい家」
が正しい表現になるのではなかろうか。

 Wikipediaにはこう書いてある。


 宮崎駿著書「トトロの住む家」で「トトロが喜んで住みそうな懐かしい家」と紹介されモデルになったとされる東京都杉並区阿佐谷北の通称「トトロの家」は、杉並区が所有者から買い取り公園として残される予定であったが、2009年2月14日深夜に発生した火災により全焼してしまった
 その後再建は見送りになったものの、宮崎駿のデザインスケッチを元にした公園へと生まれ変わることに決まった。



 トトロ関係の「家」にはもう一つあります。
 「サツキとメイの家」


 これはアニメにでてくる、姉妹が住むことになった家です。
 この家は実際に愛知万博で会場に建設されました(下)。



● サツキとメイの家


You Tube サツキとメイの家
http://www.youtube.com/watch?v=7fl2CdTc8Dk



 では、実際トトロは何処に住んでいたのでしょう。
 そこで出てくるのが、「トトロの木」なのですが、これにもたくさんの説があります。

 Wikipediaより。


 神奈川県秦野市鶴巻
* 宮崎駿の親族が女将を務めており、幼少期に宮崎がこの旅館で過ごした思い出が『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』に影響を与えたとされている。
  旅館内の庭園には『となりのトトロ』で描かれている楠の木のイメージになったとされる「トトロの木」がある。


 ほかに3つを挙げておきます。



 「トトロの樹」とは
http://www.gut.co.jp/totoro/about.php
 トトロの樹東京都、杉並区西荻北四丁目の住宅街の一角にそびえる様に立っている一本の大ケヤキは、近隣の人々からいつの間にか「トトロの樹」と呼ばれるようになりました。
 樹齢は推定200年以上、 枝の広さは20m四方にも及び、3本の大きな幹が根本でつながったような形をしているまさに巨木です。
 (余談ですが個人的には「トトロ」と同じスタジオジブリの「天空の城 ラピュタ」に出てくる大樹にも見えます。)




You Tube いとしのヒナゴンロケ地になったトトロの木(大トチノキ)
http://www.youtube.com/watch?v=QK15VeLZ7U4
 2009年07月11日 — 庄原市西城町熊野に国の天然記念物熊野の大トチノキがあります。
 映画いとしのヒナゴンロケ地にもなり、トチノキの周りが整備されました。
 現在はロープで柵が張られ木に触れることができなくなりました。




「トトロの木」調査報告
http://www004.upp.so-net.ne.jp/will/totorok.htm



 世の中には「トトロの木」なるものがありまして、その筋では結構有名です。
 3年前にも一度訪れていますが、現地の様子も少し変わったと聞いて、またトトロの木を訪ねてきました。
 トトロの木は、山形県鮭川村の小杉と言うところにあります。
 県庁所在地・山形からは75kmほど離れており車なら1時間30分くらいはかかるでしょう。



 携帯GPSによる「トトロの木」測位
 北緯  38度48分51秒
 東経 140度10分58秒


 こうなるとなんだかかんだかまるで分からなくなってきます。
 つまり、「トトロの木」というのはあちこちに分布しているということのようです。

 そしてこの
 「トトロの木に住まいする精霊がトトロ
というわけです。


 次は「トトロの森」
 二つあります。
①.狭山丘陵
②.大分県佐伯市宇目町南田原轟

 狭山丘陵は所沢近辺にある自然林で、稿頭のNHKニュースに載っているところです。
 ここを管理しているのが「財団法人 トトロのふるさと財団」
 サイトはこちらになります。

財団法人 トトロのふるさと財団
http://www.totoro.or.jp/


 アドレスが「totoro」です。

 さて、もう一つのトトロの森は九州の大分県。

ととろの森 大分県佐伯市宇目町南田原轟

http://zom.jp/totoro/

 ここが有名な「ととろのバス停」。
 大分バス停留所「轟」です。
 少女が待合室の中に、母親と一緒に書いたトトロの絵を貼り付けたことから、騒動が始まりました。


 猫バス:
 最初は、バス停の横に誰かが深夜に持ちこんだのですが、交通の妨げになるので近所の方の畑の中に移転したそうです。

 こちらのアドレスも「totoro」です。

 さらにもう一つ。
 「トトロの森」で検索したところ写真が出てきました。
 「トトロの森 の画像検索結果 - 画像を報告」


『 
トトロの森
http://himazin.jp/image/555


 これ、どこなんでしょう?。
 場所が記載されていないのです。


 これまで見てきてわかると思いますが、「トトロの家」「トトロの木」「トトロの森」の3つは別々のところにあります。
 これでは、トトロの住みかとしての説得力がありません。
 もちろんこれは童話のお話で、何も説得力など必要ないのですが。
 落語の「ももたろう」ではないですが、昨今のガキは理屈に合わぬことに対して結構ウルサイ。
 そこで浮上してきたのが、4点セット(猫バスを入れて)で登場する本家本元といわれる「トトロの家」なのです。
 
 ではこの地のトトロの家、トトロの木、それを含む熱帯雨林であるトトロの森のビデオを。



● トトロの森にあるトトロの木


 ここオーストラリアは宮崎駿の作品のメッカとなっていることはご存知だと思います。
 例えば「風の谷のナウシカ」の「風の谷」は実際エアーズロックの近くにその名前の谷があり、そこを歩いたことがありますが、左右の岩山は本当にオームそっくりでした。
 宮崎駿の作品が上演される度に、日本語新聞は彼の作品とその舞台となったオーストラリアの場所を特集します。
 その中にあったのがビデオで取り上げた「トトロの家」です。

 下のバスはお分かりのように「猫バス」のモデルです。




 トトロの名前は森の動物たちを意味する「Tootooroo」(ツーツッルー)からきたとあったような記憶があります。
 トトロは「ミミンズク」で元のモデルは「ミミズク」だそうです。
 ミミズクは耳のあるフクロウですが、図鑑で調べた限りではこの地にはいないようです。
 耳のないのはフクロウでポピラーなのが下のフクロウです。
 「Boobook」(ブーブック)といいます。
 あるいは愛称で「Boobookoo」(ブーブークー)ともいいます。




 この地でイメージを膨らますことのできる動物はなんていってもコアラとカンガルー。
 でもコアラはトトロには似合わない。
 とするとカンガルー。





 耳の形状はそっくり。
 トトロをダイエットさせて、スマートに絞り込んだら、カンガルーに似てくるかも?
 ちなみにカンガルーは「kangaroo」です。
 つめると「カンガロ」でしょうか。



[◆]
 トトロのバス停はイギリスにもあるそうです。
 ということはトトロは英国生まれなんでしょうか。
『 
トトロのバス停
http://labaq.com/archives/51472256.html









● 花いろいろ