2010年9月23日木曜日

エボルタ、東海道をゆく:出発

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● 「エボルタ」東海道をゆく



 さて、何といっても今日の話題はこれ。
 「Evolta」または「eVolta」。
 ちなみに今日は「品川宿」に到着したとのことです。


毎日新聞 2010年9月23日
http://mainichi.jp/select/biz/news/20100923mog00m020002000c.html

パナソニック:ロボット「エボルタ」東海道五十三次の旅スタート 500キロ走破目指す


● 東京・日本橋をスタートしたロボット「エボルタ」

 繰り返し充電して使えるパナソニックのニッケル水素電池「充電式エボルタ」で動くロボット「エボルタ」による「東海道五十三次走破実験」が23日午前7時45分ごろ、東京・日本橋からスタートした。
 国道1号など公道約500キロを走破し、11月中旬の京都・三条大橋到着を目指す。

 エボルタはロボットクリエーターの高橋智隆さんが設計・開発。
 大八車を引いた旅人姿で、大八車に10本、旅人の背中に2本の新型の「充電式エボルタ」を装着し、時速3~5キロ程度で走る。
 女性4人組「エボルタシスターズ」が赤外線機器を持ち、センサーを持つエボルタ号を誘導する。

 この日は、関係者や報道陣が見守る中、東海道の起点・日本橋近くの広場からスタート。
 直後に強い雨に見舞われるなどしたが、午前9時半過ぎに東京・浜松町を通過。
 順調に進んでいる。

 途中経過は動画サイト「ユーストリーム」
 http://ustre.am/nVcu
で生中継するほか、
 ツイッター
 http://twitter.com/evoltatoukaidou
でも最新情報を発信する。
 【毎日jp編集部】

【関連リンク】

エボルタワールドチャレンジ3 東海道五十三次
http://panasonic.jp/drycell/evolta/challenge/53/
パナソニック「エボルタ」
http://panasonic.jp/drycell/evolta/





 「エボルタ」とは何者か?
 というと、こういうヤツ。
 つまり身長17センチのロボット。
 こいつが大八車を引いて日本橋から三条大橋まで約2カ月かけて、
 「人の迷惑かえりみず
東海道を西下しようというわけである。

 


 さて、コイツが走行するには数々の障害がある。
 なんたって17センチのチビ。
 車道歩道の段差がまず障害。

 


 そこでルールが作られ、それによって走行するという。

  旅のルール

一.充電は1日1回とする。
一.1日一次(つぎ)以上走る。
一.走行は日中のみ。
  安全第一。雨天や安全を確保できない場合は走行を中止。

 沿道のみなさまのご迷惑にならないよう、安全に気をつけて挑戦をします。ご協力どうぞよろしく御願いします。


 素朴なQ&A

Q.挑戦ルートは?
A.旧東海道が、走行の基本ルートです。但し、安全運営のため一部迂回路を通る場合もあります。また、かつては船で移動していた「宮宿~桑名宿」間については、国道1号線を基本ルートに地上を走行します。各警察署に道路使用許可を申請した上でチャレンジを実施します。

Q.道路のどこを走るの?
A.歩道の走行を基本とし、歩道のない箇所は道路の端を安全第一で走行します。

Q.何人チームで挑戦するの?
A.エボルタを誘導する役目としてエボルタシスターズの1名。そして安全確認員2名、カメラマン2名の計5名が基本チームです。また、安全確保のため要員を増やす場合もあります。

Q.昼も夜も走り続けるの?
A.安全運営のため、走行時間は最大で「日の出から日の入り」まで。夜は走行しません。

Q.1日どのくらい走るの?
A.1日の走行は「宿」単位で行います。1日で1宿のこともあれば、2宿分をまとめて走行する日もあります。但し、例外として「宮宿~桑名宿」間については、2日間で走行する予定です。

Q.チャレンジをお休みする日はあるんですか?
A.安全運営第一なので、雨天時・荒天時など、安全運営が難しいと判断した日は、その日のチャレンジをお休みします。

Q.走行途中で天候が悪くなったらどうするの?
A.走行途中での天候悪化やその他、安全運営が難しい状況が発生した場合は走行を中断することがあります。その場合は当日、ないしは翌日に、「走行を中断した場所」からチャレンジを再開させます。

Q.ロボットが故障したら?
A.チャレンジを中断して、ロボットを修理します。修理に時間を要すると判断した場合には、充電池は変えずに、スペアロボットを使用してチャレンジを続けます。

Q.信号はどうするのですか?
A.横断の途中で赤信号に変わることを避けるため、たとえ信号に差し掛かった時点で青信号であったとしても、走行は一旦ストップします。赤信号を経て、次に青信号になった時に横断を開始します。

Q.歩道橋や踏み切りはどうするのですか?
A.エボルタは階段を登ることはできません。階段についてはスタッフが手で持って移動させます。また、踏切やその他安全運営のため警察から指導のあった箇所、安全運営のためにやむを得ない場合はスタッフが手でもって移動させます。


 走行の仕組みは簡単。
 エボルタの前に発信車を走らせ、その信号の方向にテクテク進んでいくだけ。
 この発信車を動かすのが「エボルタシスターズ」という4人組の女性陣である。
 マスクをかぶって顔は一切みせないということのようである。





産経関西 (2010年9月23日 09:37)
http://www.sankei-kansai.com/2010/09/23/20100923-043951.php
「エボルタ」動力源の人型ロボット 東海道五十三次に挑戦 パナソニック

 パナソニックは22日から、同社製の単3形充電池「エボルタ」を動力源にした人型ロボットが東京―京都間約500キロを踏破するイベントを始める。
 東海道五十三次の宿場町をたどり、充電を繰り返して歩く。
 「天下の険」とうたわれた箱根などの難所にも挑み、電池性能をアピールする考えだ。

 イベント用に製作したロボット(全長約40センチ、高さ約20センチ、重さ約1キロ)は、大八車を引いて街道を歩く旅人をイメージ。
 赤外線を感知して動き、スタッフが持つ赤外線発信装置を頼りに歩道部分を歩く。

 東京・日本橋を出発し、順調に進めば11月中に京都・三条大橋に到着予定。歩行の様子は専用サイト(http://evolta.jp/)などで生中継する。

 パナソニックは平成20年、アルカリ乾電池を積んだロボットで電池の持久力を試す実験として、米グランドキャニオンの絶壁登頂に成功。

 21年は仏ル・マンの自動車耐久レースで使われるサーキットの24時間走行を達成。
 電池で動く遠隔操作の車で世界最長距離を走ったとしてギネス記録に認定された。



 はるか昔のこと。
 「歩け歩け運動」というのが流行ったことがあります。
 うかつというか積極的というか、私もそれに乗ってしまいました。
 キャラバンシューズに身を固め、リックをかついでえっちらこっちら、エボルタと同じように東海道を歩いたのです。
 もちろん、大八車など引きませんでしたが。

 大八車といえば、以前にオーストラリア大陸をリヤカーを引いて走破した人がいましたが、すごいことをやりますね。
 調べてみたら古書がAmazonに出ていました。
 ちなみに古本でも5千円以上はするということは、貴重本のようである。


田吾作号の冒険―GO!!豪大陸 オーストラリア大陸4200キロリヤカー野郎徒歩横断 (1982年)

 最近、植村直己賞を受賞したことからも知る人が多いと思うが、リアカーに生活物資の全てを詰め込んで徒歩のみで世界に挑む男の話。
 著者にとって、海外では初めてのリアカーを引いての冒険。
 この大陸徒歩横断の経験が、今後アフリカや南米、世界各地で冒険を繰り広げるきっかけとなったのではないだろうか。
 シドニーからパースまでの4200kmを徒歩でオーストラリア大陸横断したときの記録。
 英語もほとんどわからず途中日中50℃を越す砂漠地帯をひたすら歩き続ける。。。
 その姿に感銘を覚える人間もいれば、頭がおかしいとしか捕らえない人間もいる。
 生きるとは何かを追い求めた男の物語。

 昨今はオーストラリア大陸縦断ならなんといってもソーラーカー・レースが有名です。
 リヤカーを引く超・人テクの挑戦から、最新技術を駆使した超ハイテクでの挑戦と時代は移り変わっています。
 今から30年ちかくも昔のこと、いろいろな人がいたということでもあります。

 40年以上も昔のことになると、東海道をシーズンになるとずいぶん多くの学生が歩いていた。
 私もそのひとりとして紛れ込んだのである。
 確か、日本橋から京都三条大橋まで16日。


 その間、西からの者、東からの者、合わせて数人のお仲間に会っている。
 神戸が終点で19日であったと記憶する。
 昔のことで市街地にはちょっとばかりはあったが、その頃ではエボルタの進む歩道というものはほぼないといっていい。
 よって、車が怖い。
 後ろからスーとこられる車が一番いやである。
 旧道というのは道が狭い。
 そこに車である。
 安全を考えて車と対面する形で道路の隅を歩く。
 つまり車は左側通行、人は右側通行である。
 これ、なにが疲れるって目玉が疲れるのである。
 目の横を四六時中車が横切っていく。
 これを怖いから一生懸命みてしまう。
 そのせいだろうと思うが、もちろん足も疲れるが、目玉がひどく疲れるのである。
 夜になるとジーンと痛み出して眠れない。
 これがつらい。
 おそらくカンペイも始めはこれに襲われたことと思う。

 エボルタの初日は品川、私のときは横浜(旧道表示だと神奈川)。
 横浜なら電車で自宅に帰り、翌日早めに戻ればいいのだが、それでは面白くないと駅前の旅行案内所へいって安い宿を紹介してもらった。
 カンペイがガン治療でアメリカにいたときも、絶対に日本に帰らなかったのと同じ心理である。

 この五十三次での最大の思い出は?
 というと、圧倒的にこれ。
 「鈴鹿トンネル事故」をご存知ですか。
 鈴鹿の坂を登っていったのは事故の二日後。
 行き交う車はパトカーと関係車両のみ。
 普段なら1日、1万3千台の車両がひっきりなしに行き交う坂道であるのだが。
 天と地がひっくり返ったように静かなものである。
 この事故をWikipediaで調べてみた。
 「ない!」
のである。
 「鈴鹿トンネル」の稿に、わずかに、
 「1967年3月6日 : 午前5時、鈴鹿トンネル内にて車両13台が炎上する火災事故が発生。」
と記載されているのみである。
 ということは、私が鈴鹿の坂を登っていった日は3月8日の午後ということになる。
 トンネル近くの茶店に、今日は泊めないというのを無理に泊めてもらい、夜、ここのご主人が事故を見にいくか、というので車で連れていってもらった。
 でも夜のこと、人が右往左往しているだけでなんにもわからなかった。
 翌朝、おにぎりを作ってもらって、再び上りはじめる。
 やっと火災現場のトンネルが見えてみた。




 写真では煙が出ているが、そのときは煙は止まっており、トンネルの入り口上のレンガはケムリで真っ黒に焦げていた。
 左右に焼け爛れたトラックが10台ほど引き出されていた。
 印象に残ったのはタイヤに入っているスチールワイヤーがゴムがやけてむき出しになり車輪にからまっていたことが、妙に生々しい。
 この日は小雪模様で、その向こうに焼け爛れたトラックが置かれており、なんとも陰気にしてうら寂しかった。
 トンネルの脇の小道からトンネルの上に出る。
 うっすら積もった雪を踏みしめながら、この下が事故現場になるんだな、と思ったことを覚えている。
 反対側のトンネル口もまったく同じ様子。
 トンネル上部のレンガは黒焦げで、左右には金属体のみ残してあとは燃えてしまったトラックが引き出されていた。
 こちらは、若干少なかった。
 記事には13台とあるが、そのときは両側合わせて20台弱くらいはあったように思ったのだが。

● 帰宅して自宅前


● 薩埵峠で、自分で自分を撮る。
  若いな(40年以上も昔の写真)!
  リコー:ハーフサイズカメラで


 遠い昔のことである。
 果たして、エボルタはどんな障害に遭遇することになるのか、あるいはなんのトラブルにも見舞われずに京都まで行き着くことになるのか。
 鈴鹿の事故のようの、思ってもみなかった、想像すらできないものに出会うことがあるのが人生。
 いや「ロボ生」。
 カンペイの「アースマラソン:シルクロードをゆく」とともに、追ってみたいと思っています。
 
 ちなみに東海道53次の正式距離はこのサイトで。



東海道五拾三次之内(保永堂版)より 「日本橋」 - 歌川広重

東海道53次距離表
http://350ml.net/labo/tokaido.html


東海道五拾三次之内(保永堂版)より 「京師」 - 歌川広重






[◇ 2010-09-24]
 「Panasonic EVOLTA 東海道五十三次チャレンジ 生中継中」を今観ている。
 2日目、大森警察署前を通過した。
 結構、順調。
 でも見ているとこれ疲れる。
 今、梅屋敷駅入り口を通過中。
 キリがない、ヤメます。





 

● 花いろいろ