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● 文庫本2009/07 [単行本2006/09]
昨日、昨々日のニュース。
『
産経ニュース 2010.9.2 19:18
http://sankei.jp.msn.com/sports/other/100902/oth1009021919023-n1.htm
【東京マラソン】過去最高の33万5000人が応募 マラソン倍率は9・2倍
東京マラソン財団は2日、第5回東京マラソン(来年2月27日)の申し込み人数がマラソンと10キロを合わせて過去最高の計33万5147人に達したと発表した。
参加申し込みは8月31日に締め切られた。
倍率はマラソンが9・2倍、10キロが13・6倍となり、参加者ランナーは抽選で決まる。
都庁前をスタートして銀座、浅草など42・195キロを駆けるマラソンには、定員3万2000人に対して29万4469人が応募し、前年から2万2335人増。
10キロには4万678人(定員3000人)が申し込んだ。
抽選結果は10月12日以降、申込者全員に通知される。
● 2009年の東京マラソン スタート
=東京都新宿区の東京都庁前(代表撮影)2009年の東京マラソン スタート=東京都新宿区の東京都庁前(代表撮影)
』
『
NHKニュース 9月3日 20時31分
http://www.nhk.or.jp/news/html/20100903/t10013767911000.html
東京マラソン 参加枠の拡大へ
国内最大規模の市民マラソン「東京マラソン」の来年の大会は、応募者が過去最多の33万5000人余りとなり、東京都は、抽選に外れて参加できない人が増えるため、参加枠の拡大を検討することになりました。
東京マラソンは、5回目となる来年は2月27日に開催されますが、東京都によりますと、先月1か月の期間中に応募した人は、過去最多だった去年を2万3000人余り上回る33万5147人に上りました。
参加者を選ぶ抽選の競争率も、ことしの大会の8.9倍を上回って9.6倍と過去最高となり、およそ10人に1人しか参加できなくなります。
これについて東京都の石原都知事は、3日の定例記者会見で「参加の要望が多いので、何らかのくふうが必要だ。
警備の都合もあり、警察と相談しながら進めたい」と述べ、道路を管理する警視庁に要望して参加枠の拡大を検討する姿勢を示しました。
また定員を超える参加希望者には、チャリティとして一定の額を寄付してもらうことも検討し、参加希望者の要望に応えたいとしています。
』
すごい。
東京マラソン(フルマラソン)の参加枠は「3万2000人」だという。
この数ですらすごいというのに、希望者が「29万4469人」だという。
約30万人が東京を走るために応募していることになる。
この数どのくらいかというと、函館市の人口に匹敵し、福井、山形、徳島の県庁所在地人口よりも多い。
東京なら目黒区の1.1倍の人数になる。
『
Wikipedia 日本の都市の人口順位
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%B8%82%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E9%A0%86%E4%BD%8D
』
日本中から集まってくるのである。
ただ「42.2km」を走るだけのために。
新幹線に乗って、時に飛行機で、都内に宿をとって。
当選確率はほぼ「1/10」である。
参加資格は19歳以上で、6時間40分以内で完走できること、となっているが、この時間だと走ったり歩いたりなら楽にゴールに到着できる。
つまりほぼ、参加資格はないと言っていい。
通常は過去1年以内にフルなら5時間以内、ハーフなら2時間以内に走った記録が必要といった制限がかかる。
それがないということは、誰でも参加できる、ということで市民型マラソンイベントになっている。
もし、東京にいたら私も試しにエントリーしてみたいものだと思う。
ちなみに制限時間は7時間であり、これなら時々走れれば十分ゴールできる。
10倍では当選の見込みはすこぶる低いが。
コースマップは下記になる。
『
東京マラソン コース紹介http://www.tokyo42195.org/pdf/map_2009.pdf
』
別に東京マラソンの宣伝をしているわけではない。
東京マラソンの日比谷公園から品川駅前までの5kmほどは正月恒例の箱根駅伝1区の一部になる。
先ほど読み終えた本に、
三浦しをん著 「風が強く吹いている」
がある。
ゴールドコースト図書館から借りてきた本である。
これ箱根駅伝をテーマにした本である。
少なくとも私の記憶の中には箱根駅伝をテーマにした小説は読んだことがない。
ポルタージュやノンフィクションならある。
が、まるまる小説となるとない。
考えるに、マラソンは主人公が一人、そしてマラソンレースという舞台があって書きやすい。
が、箱根駅伝となるとそうはいかない。
なにしろ主人公だけで10人はいるのである。
これを書き分け、さらにレースは2日にわたっているので、どうにもとらえどころがなくなってしまう。
作家としては、負担が大きすぎ、盛り上がりが散漫になってしまう。
よほどでないとこのテーマは選べない。
が、この三浦しをんという作家、見事に書ききっている。
すごい力量である。
この稿を書き始めて、東京マラソンの次に「三浦しをん」を調べてみた。
出てきたこの人、えええツ、女性である。
どうも焦点の定まらない”衝撃”であった。
今のいままで男だとばかり思っていた。
この人の作品は「まほろ駅前多田便利軒」のほか、2,3冊読んでいる。
その間、まるでこれっぽちも著者が女性とは気がつかなかった。
主人公は男であった。
その心理描写は男の心理であった。
まるで女性の匂いはしなかった。
そういう気配はまるでなかった。
男の青春物語といった感じが強かったのである。
● おそらく単行本の表紙
Wikipediaには「ボーイズラブに造詣が深い」とある。
が、それにしてもである。
女とは。
先の本にあっても表紙裏の著者紹介欄には写真がない。
見事に騙された。
この稿を書くことがなかったら、これから先もまだまだ騙され続けていただろう。
読んだ本すべて図書館から借りてきたものであるが、図書館が揃えているのが男性的なものばかりということもあるまいに。
● おそらくマンガの表紙
この本、映画にもなり、マンガにもなり、舞台化もされているという。
これもまるで知らなんだ。
このところ日本の事情にすこぶる疎くなっていることは確かだが。
『
予告編
http://www.youtube.com/watch?v=kWGlSAN7S7s
』
● これは映画
この小説のなかに「ゾーン」という言葉が出てくる。
ある高揚した心理状態をいうらしい。
Wikipediaには載っていない。
文章を抜粋してみよう。
『
調子はすこぶるいい。
だが走(カケル)の心は凪いでいた。
未来を映す魔法の水盤みたいに、波ひとつ立たづに静謐に澄み渡っている。
どうしたんだろう。
もしかして俺は、闘志を失ってしまっているんじゃやないか。
カケルはふいに不安になった。
リズムに乗っていると感じるのは錯覚で、本当はとんでもなく遅いペースで走っているんじゃないか。
はじめて腕時計を見る。
2キロを5分30秒。
やはり悪くない。
だけどもしかしたら、時計が壊れているかもしれない。
そうだとしたらどうしよう。
動揺したせいで、少し呼吸が乱れる。
そのとたん、沿道から声援が耳に押し寄せてきた。
ガードレールに沿って、はるか彼方まで人の壁が延々と築かれている。
見物渋滞した対向車線の、車列の中からもカケルに視線が注がれている。
わざわざ車の窓を開け、声をかけてくれる人もいた。
------
清瀬は確信をもって答えた。
「カケルはいま、極度に走りに集中しているんです。
それを妨げてはいけません」
単調なリズムで大地を踏んで、カケルは「走る」というなれた行為を通して、次元の違う境地に至ろうとしている。
たるみなく張った細い糸を、切れる寸前までなお引き絞ろうとしているのがわかる。
緊張と高揚が縁まで漲った器に、あと一滴の何かを投じようと、カケルは無心にひた走っている。
邪魔をしてはならない。
誰もカケルに触れてはならない。
いまは。
---------
ボトルを道端に投げ捨てる。
冷たい液体が体内をすべり落ちた。
「あ‥‥」
カケルが思わず発した声は、かすれて誰の耳にも届かなかった。
体の底で、なにかが鋭く破裂した。
一点で弾けた力が体中に、指の先まで拡散していく。
拡散ではなく、集合しているのか?
エネルギーの流れがあまりに速すぎて、どちらなのか区別がつかない。
渦巻いて身の内に充満する。
音が一気に遠のき、脳髄が冴え渡った。
走る自分の姿を、もう一人の自分が俯瞰しているみたいだ。
呼吸が旧に楽になった。
舞い散る雪片のひとつひとつが、ひどく鮮明に視界を横切る。
なんだろう、この感覚。
熱狂と紙一重の静寂。
そうとても静かだ。
月光が射す無人の街を走っているようだ。
行くべき道が、ほの白く輝いて見える。
このまま還ってこられなくなりそうなほど、気持ちがいい。
怖いくらいだ。
輝く恒星のほうへ、たった一人で押し流されていく。
だれか、俺をつかみ止めてくれ。
いや、だれも邪魔するな。
このままでいい。
このままいきたい。
灼きつくされてもかまわない。
ほら、彼方が見える。
きらめく何かまで、あともう少し。
大家(監督)の声を耳がとらえ、体は自動的に反応してスピードをあげる。
だが、カケルはあいかわらず、不思議な無感覚状態の余韻を引きずっていた。
ランナーズ・ハイになったことは、これまでもあった。
心と体が浮き立ち、どこまでも走っていけそうになる。
いまの感覚は、それとは少しちがった。
もっと透徹とした、静かな恍惚だ。
思考する脳の回路とは関係なく、カケルの意識と感覚の大半は、気づくと遠い岸辺に運び去られてしまう。
神経が覚醒しきっているのに、意識はフワフワと浮遊する。
自分ではどうすることもできない。
睡魔の波間をなんども漂うときにみる、妙にリアルな夢に似ていた。
気分は悪くないし、実害もない。
むしろ、ぬるく持続する快感の中で、いつにも増して走りのキレがよくなっている。
ただ、自分がどうなってしまったのか、このトランス状態がなんなのか、わからなくて不安だ。
--------------
箱根駅伝が、ランナーとしてのカケルを一段と成長させたことを清瀬は確信した。
気づいているかどうかはわからないが、カケルは9区を走りながら、「ゾーン」に入っていた。
高い集中がもたらす、特殊な心身の状態がゾーンだ。
過酷な練習を積んだトップアスリートが、極限状態となる試合中に、まれにゾーンに入るという。
清瀬自身は、ゾーンを経験したことはない。
ゾーンについての本を読んだ。
トップ選手が、ゾーンに入ったときの感覚を語っていた。
清瀬は最初、ゾーンとはランナーズ・ハイのことではないかと思ったが、読み進むうちに微妙な違いに気づいた。
ランナーズ・ハイは、ジョッギングをしていても訪れる。
心身の条件がそろったときに、ある程度の距離を走り続ければ、ランナーズ・ハイと言われる状態にはなる。
「この調子だと、ランナーズ・ハイになるな」
と、慣れてくると事前にじわじわ察せられることから、癖のようなものだと清瀬は思っている。
だが、ゾーンはどうやら唐突に訪れるらしい。
ランナーズ・ハイよりも連列で、瞬間的に、しかも試合中にのみ起こる。
ランナーズ・ハイとゾーンは、減少は似ているが、たぶんキッカケとなる回路が違うのだ。
ランナーズ・ハイが体を動かすことで引き起こされるのに対して、ゾーンは極度に緊張し集中した心理が契機となるのではないか。
例えるなら、段階を踏まない、突発的な神がかり状態なのだろう。
ランナーズ・ハイにしろ、ゾーンにしろ、脳内麻薬の悪戯には違いないが、ゾーンに入るほどに競技に集中できるということは、選手として一流になれる適性があるという証拠だ。
』
「ゾーン」という心理状態を人は簡単に経験できるものなのだろうか。
例えば文中の清瀬はこれまでに経験したことがないという。
彼も相当な競技者であるはずだが、「ない」ということは、普通人にはなかなか容易になれる状態ではないようである。
箱根駅伝をベースにしたCMを。『
多部未華子 CM 读卖新闻
http://il.youtube.com/watch?v=2_n48ldjf9Y&feature=related
ヨリモ CM「人生駅伝・娘篇」
http://il.youtube.com/watch?v=QwjhKhR8dIw&feature=related
』
[◇]
『解説』」に、
「 なぜ、この2つの大学(大東文化大学&法政大学)を取材の対象に選んだかと尋ねたところ、著者はこう教えてくれた。
箱根駅伝には出場するけれど毎回優勝するようなレベルではなく、徹底管理型でない指導者がいて、若者をどう伸ばしていくかに腐心しているアットホームな小さな陸上部。
そんなイメージを大学陸上部を総括する関東学生陸上競技連盟に問い合わせたところ、推薦されたのがこの2校だった」
とある。
とすると、小説に出てくる大学のネーミングは「東政大学」か「文政大学」になりそうだが、どういうわけか「寛政大学」である。
寛政大学って、何か意味があるのだろうか。
どうでもいい疑問だが、ちょっと気になっている。
● 花いろいろ