2010年10月13日水曜日

カンペイ、万里の長城を触る

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 2010.10.12 18:20 [DAY665]
 タッチ!タッチ!万里の長城

 昼食を取って1キロほど進むと
 寛平さん「ずっとあったんや、ずっと(城壁を)歩けるようになってたんやな」
 そこには万里の長城の名残りの城壁が…
 そして万里の長城に近づき、タッチ!
 寛平さん「土とか砂とかでそんなんで固めてんやろな…土やな!」
 そんな歴史を感じながら本日のゴールへ向かっていきました。


 カンペイが万里の長城につきました。
 ビデオで。



Day665
http://www.youtube.com/watch?v=0fhV0HjCOcQ&feature=player_embedded#!

万里の長城


 カンペイが走っているところが、万里の長城の西の端の近くになるようです。
 ちょっと調べてみました。
 万里の長城の西端は現代地図でみるとその遺跡の残っている場所は東経100度の向こうになります。

 サイトから。


万里の長城の西の端は、川の断崖の上で終わっていました(中国)
http://blog.goo.ne.jp/k_1sh11/e/0b5d8e7d297ac278f275b2bda0fdadc6



 万里の長城は秦の始皇帝が北方からの外敵に備えて作ったものと言われていますが、現存する長城の大部分は14~17世紀の明代に作られたものです。
 明代長城は渤海湾に突き出した老龍頭を東の端にして、西は嘉峪関の南西にある長城第一とん(土へんに敦)で北大河の断崖の上で終わっています。

 一方、長城の要所に作られた関所で最も西にあるものが嘉峪関ですが、長城第一とんとの間には民家の土塀のような長城の名残が砂漠の中に切れ切れに続いており、その向こうを西域に向かう列車が通り過ぎていきます。

 長城第一とんは、高さが4~5mほどの四角い土の塊があるだけで、表示が無ければそれとは解らないようなものです。




万里の長城(甘粛省嘉峪関)
http://yoshidanoharuo.web.fc2.com/Houses/ie_cn_kansk_banri.html



「万里の長城」の西の端

 正面の山は「祁連山脈」、その後ろには雪を頂いた「党河南山山脈」。現存する“万里の長城”は、党河南山山脈の手前の「敦煌」の東で終わっている。

 西域の「万里の長城」の壁は、黄土を固めてつくった「版築構法」の壁&生土の日乾し煉瓦製の壁で出来ている。

※「版築構法」:黄土は、粒子が細かく乾燥すると非常に固くなる特性がある。角材を横たわせて箱形のようなもの(長城の場合は、長さ1.5m前後×間隔3~4m×厚さ10cmほど)を作り、その中に黄土を入れ少しずつ杵でつき固めていく方法。一度にできる高さは10cmだけ。この作業を何度も繰り返し、高さの3~5m防壁を作った。


 万里の長城といえば「秦の始皇帝」
 歴史地図に秦のときの万里の長城と現代の万里の長城の位置が載っていました。
 これによれば東経105度くらいが長城の西の端になる。




 この秦帝国を滅ぼしたのが、あの「項羽と劉邦」



 この物語は司馬遼太郎の本で手軽に楽しめる。
 そして劉邦が項羽を滅ぼし、漢帝国を建設する(前202年)。
 漢字、漢文など日本文化にすこぶる大きな影響を及ぼした国である。
 前漢は劉邦が作った帝国であるが、このとき万里の長城は東経100度を越えて建設されており、ほぼこの頂上を挟んで匈奴と敵対していたということになる。
 
いわばここが漢の国境ということになる。
 下の地図は「前二世紀後半」の世界からであるが、これを見ると万里の長城は敦煌まで延びている。



 それから約2千年の歴史が流れる。
 中国4千年の歴史は長い。
 漢人の帝国である明はモンゴル系のタタールと万里の長城を堺に対峙することになる。 




 そして、タタールが万里の長城を越えて侵攻を開始し、明を滅ぼす。
 蒙古系の帝国「清」が誕生する。
 この歴史地図でも万里の長城は東経100度を越えていますが、清帝国にあってはタタールと明が合併した国家であるため、万里に長城はなんの機能もせず打ち捨てられたということになります。



 そしてこの清がつい最近まで中国を支配し、日本と「日清戦争」を繰り広げるわけです。
 支配者の蒙古民族はモンゴルに帰り、あらたに漢民族の国家「中華人民共和国」が成立するということになる。

 ちょっと、万里の長城にまつわる歴史のお勉強といったところか。
 その歴史深き、万里の長城をカンペイが触っている。





[◇]

2010.10.13 17:00 [DAY666]
中国初のテレビ取材

 寛平さん「やっと来てくれましたか〜中国で」
 そうなんです。
 寛平さんのアースマラソンの噂を聞きつけ、嘉よく関のテレビ局が取材に来ました。
 取材といっても一方的に寛平さんがしゃべる感じだったんですけど、寛平さん
 「トラック、ダンプの運転手さん本当に色々応援してくれてありがとうございます。
これからチンタオまで行きますので、まだ3200、300キロあるんですよ!」
 「中国の皆さん、日本の人も宜しくお願いします!仲良くして下さい!! 僕は日本人です〜!ワオ!ワオ!ア〜〜メ〜〜マ〜〜!宜しく!」
と「アメマ」で日本、中国の平和の架け橋として貢献する寛平さんでした。
 放送は明後日だそうです。
 情報が入り次第お伝えします。


 カンペイが中国に入ったのが617日目。
 TVカメラが来たのが666日目。
 つまり入国50日後。
 東欧や中東の国々なら入国して出国してしまっている。
 大きいというか、おおようというか、とりたててニュースにするほどのものでもないということかもしれない。
 「なに!、我が国をカケッコで旅行するとな。アホなもの好きが!、そんなものにかかわっているほどわれわれはヒマじゃない」
 てなところか。 



2010.10.16 01:20 [DAY669]
中国初テレビデビュー!?

 一昨日、取材を受けたニュースが遂にオンエアーと聞き「嘉峪関新聞放送」というチャンネルで今か今かと待つ寛平さん。
 しかし・・・・ニュースは終わり番組は天気予報に「おいおいちょっと待てや〜」
 そして現場が「もう流れないのか・・・」とあきらめかけたその時!
 まさかのトップニュースに「日本友人?対人生」の文字と寛平さんが!
 しかし・・・大体、4分ぐらい放送され、寛平さんの生声は「ニーハオ!」だけでした。
 それでも、寛平さん「日本と中国がもっと仲ようなればええんや」と友好大使と目立つ為に張り切っています。



2010.10.16 00:10 [DAY669]
アメママン万里を走る!



 数十年前に寛平さんが考案した「アメママン」が遂にタイツになって再来!
 寛平さんのリクエストでニューバランスさんが特別に作ってくれました!

 寛平さん嬉しそうに「この万里の長城をアメママンが走りましたよ」。
 そこには懐かしくも斬新なキャラクター「アメママン」が楽しそうに万里の長城でジャンプしてます。
 寛平さん朝から「アメママン」がずっとお気に入りで「これいいやろ〜」と、皆に見せびらかしているんです。



 万里の長城見学へ。

Day668  万里の長城
http://www.youtube.com/watch?v=5rphIkeR2is&feature=player_embedded






[◇]
 670日目の話だが、映像にバタバタというエンジンの音が入ってきた。
 オート三輪が走っていました。
 いや画面に向かって「オート三輪だ!」と小声をあげたら、サポートの辻さん
 「うわ、三輪で走っている。あれ三輪で走っていますよね」と。
 カンペイ曰く、オート三輪。
 「ア、オート三輪か。四つのうちの一つなくて走っているかと思った」
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 「ビックリした」
 私などは、ダイハツだろうか、マツダだろうかとじっくり見てしまった。
 まさかくろがねとか日野オリエントということはあるまい。
 あの形だとヂャイアントということもないだろう。
 中国ではオート三輪を作っているのだろうか。
 ちなみに、翌671日の冒頭にこのオート三輪の話が出てきた。
 視聴者のみなさんもいろいろな意味で関心があったのだろう。
 なをこの日、青島まで2,500キロを切ったということです。
 東海道5回分走れば、次は日本となりますね。





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