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● 「始皇帝陵兵馬俑坑博物館」
エボルタは今日、京都に着くという。
ならカンペイについても書かねばならない。
カンペイは昨日、西安に入った。
公式日記から。
『
2010.11.20 19:50 [DAY704]
http://www.earth-marathon.com/2010/11/20/
704日目、ゴール!
午後5時14分(日本時間午後6時14分) 気温16℃ 標高543m
寛平さん「やったー!やったー!ニシヤス(西安)や〜!!」
遂に寛平さん西安に入りました!
前半のみ田舎道で、後半はずっと都市部を走った本日のRUNコース
人の多さに寛平さん「確かに13億人いるはこれは・・・」と、途中感心していました。
そして両手を大きく広げ「やった〜!シーアン!シーアン!〜シーゴーロク!ふぁいと!ふぁいと!」
西安突入で新たな連携技まで生まれるほど喜んでいました!
移動距離 50.0km
所要時間 8時間54分
総移動距離 38115.0km
』
西安とは昔の長安。
長安といえば唐の時代の首都。
その当時、世界最大の都市であった、と言われている。
が、地理的には辺境。
それまでの中国にあっては、春秋戦国の権力争いは「中原:ちゅうげん」で行われてきた。
秦は西戎の地である。
つまり未開の地。
中原と西戎の境界線が「函谷関」である。
ここには様々な歴史的エピソードが刻まれている。『
wikipedia:
函谷関(かんこくかん)は、中国河南省にあった関所。
この関より西を関中といい、中原から入る上での交通の要衝にあり、歴史上多くの戦いが行われ、また故事が生まれた。
』
この関を挟んで西に秦がある。
その王が始皇帝。
この西戎の地と言われたところの王が中原を滅ぼす。
さらにその秦を滅ぼしたのが漢。
この漢はなんと首都を中原におかず、秦の首都においた。
秦の生き残りが怖かったのだろう。
それが長安。
西戎の領域は名前を変え、「関中:かんちゅう」となる 後漢に入り首都は函谷関を抜けて中原に戻り、洛陽に移る。
が、唐ではまた長安に還る。
唐の時代に長安は空前の繁栄をする。
世界第一の街となる。
日本の遣唐使たちはここを目指して出かけていった。
万葉集の山上憶良、そして空海(弘法太師)など。
ご存知のように平安京は長安を模して造られている。
そしてこの長安からシルクロードがはじまる。
つまり、長安は中国の入り口出口にもあたっている。
長安はインド・ペルシャ・ヨーロッパとの接点になる。
ということは、当時の中国からみるとさほどに西の端にあたるわけである。
まさに遣唐使たちにとっては、とてつもない長旅を強いるはるかな場所であった。
大和という東の端からシルクロードの出発点まで、まさに中国横断の旅をしなければならなかったわけである。
ちょっと中国史のおさらいをしてみた。
地図を載せてみる。
これは司馬遼太郎の「項羽と劉邦」に載っている地図である。
『
● 「項羽と劉邦」より
』
左側少し下に長安(西安)がある。
その右側に函谷関があり、さらに右に洛陽、開封と続く。
その右に「 沛」という街がある。
ここが漢帝国を作った劉邦の出身地。
北京は位置的に何処になるかというと、右上の方に燕という国がある。
ここに「P」とマークしておきましたが、そこが今の北京になる。
青島(チンタオ)は左側中程の高密の右側に桃色マークしたところになります。
ということは、カンペイは函谷関を抜けたあと中原に入り、洛陽、開封を通過して、北京には往かずに、最短距離でチンタオを目指すことになると思われます。
もし、長安から北京を目指すとなれば司馬遼太郎のこの本が面白い。
現代地図でみると、左上から入って、右側中程が青島。
西安は中央下の右よりにあたる。
よってカンペイは中国横断を2/3ほど終了したことになる。
拡大すると下のようになります。
左上がカザフスタンとの国境、右下が西安になります。
拡大はクリックでできます。
カンペイのビデオを見て感じることは、中国の発展のスピードのすごさである。
恐ろしいと言っていい。
学生のころは「壁新聞」なるものがメデイアだったのだが、一世代のうちにガラリと変わった。
人はこの発展についていけるか。
どこかできしみが出てくる。
ホッツと一息ついた時にそれが湧き上がってくる。
が、今世紀は中国の時代だ、ということだけは心底実感できる。
現在では悪評高いが、毛沢東は清の崩壊によってバラバラになった中国を一つにまとめ上げた覇者。
今、中国はようようまとめ上がった一国という形をもって、経済という基盤の上を猛烈に走りはじめている。
カンペイも長安に入ったことだから、近々この「長安から北京へ」読み返してみることにしよう。
ビデオといえば、あの昔懐かし「バタバタ」が度々映っている。
バタバタとは何?
ということになるが、オート三輪である。
日本も以前、たくさん走っていた。
でも、今はまったく見かけない。
製造していない。
でも,ここ中国にあった。
走っている音を聞いてください。
本当にエンジン音が「バタバタ」というのです。
どうしてなのだろうと、不思議なのだが。
はじめの頃のオート三輪のハンドルは「へ」の字型、そしてエンジンから後輪車軸にはチェーンで回転を伝えていた。
いわゆるオートバイ方式である。
おそらくこのチェーンに関係する音がバタバタではなかったのかと思うのだが。
その後、チェーンはプロペラシャフトに変った。
これでバタバタという音はなくなったように記憶するのだが。
もし、今の中国のオート三輪がプロペラシャフト構造なら、バタバタ音は別の理由になるのだが。
そんなことはどうでもいいが、オート三輪をじっくりみられるなんて、なんとも懐かしい。
「バタバタ」という音が心地よい。
一生懸命バタバタと経済成長している姿がほほえましい。
ちなみに先に書いたが、「トトロ」の引越しに出てくるのが、やはりオート三輪、バタバタ。
今日のビデオはシルクロードの出発点を見る、だった。
公式日記から。
『
2010.11.21 16:20 [DAY705]
http://www.youtube.com/watch?v=CJAT5LCLTJo&feature=player_embedded
シルクロード始まりの地
寛平さん「走っていたら道の真ん中にこういうものが出来てます。」
そこには石で出来た、駱駝に乗った人や羊などの造形物。
近くにいたホウリュウさんに説明してもらう事に
ホウリュウさん「ここは唐の時代には外城と内城があり、この場所に外城の門がありました。
(だからこれが)シルクロードの出発点なんです」
「あ〜ここから!シルクロードがヨーロッパの方まで!お〜〜!」
西安からローマまで続くシルクロード、その一部を走破した喜びを体現する寛平さんでした。
寛平さん「遂にシルクロードも終わりました。長かったですね」
移動距離 25.0km
所要時間 3時間53分
総移動距離 38140.0km
』
シルクロードはここ長安を起点にしているということですね。
カンペイ、「始皇帝陵兵馬俑坑博物館」へ行く。
公式日記から。
『
2010.11.23 15:40 [DAY707]
707日目、休養日。
11月23日DAY707 気温6℃ 曇り
本日は中国の世界遺産にして西安のシンボル「秦の始皇帝陵兵馬俑坑博物館」へ行きました。
寛平さん「皆さんに西安の良い所を伝えたいと思います、ここは兵馬俑と言いまして・・・
アレが秦の始皇帝かな〜?」
入り口に7,8mの始皇帝の像を見て一言・・・「大きい人やったんやな〜」
イヤイヤそんなに大きいくないですから、とツッコミつつ博物館の中へ
2300年前に秦の始皇帝のお墓を守る為に作られた兵馬俑。今まで3つの兵馬俑抗が発見され
第一号抗だけで6000体もののハニワがあり、1体づつ手作りで1体の平均の高さは1.8mぐらい、
その全ての表情が違うんです。
全く予備知識なしで突入した寛平さん興奮しながら「えっ!えっ!なんやこれ!なにこれ〜!?
これちょっと皆さんなっ!なっ!なっ!なんと〜〜!!」
「なっなっなんと〜!」をこの「兵馬俑」観光で連発!
詳しくは動画クリップでお楽しみ下さい!
』
「兵馬俑」について wikipedia から。
『
兵馬俑(へいばよう)は、本来は古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったものを指す。
現在では、陝西省にある秦の始皇帝の陵墓の周辺に埋納されたもののみをさすことが多い。
秦の始皇帝陵の一部として1987年、世界遺産(文化遺産)に登録されている。
史記や漢書など数々の歴史書には秦の始皇帝陵の存在は記されていたが、数々の動乱などにより所在地や存在そのものが忘れ去られていた。
漢書には秦の始皇帝陵は項羽によって破壊されたと記されている。
21世紀に入った現在でも、この大文物群の調査・研究は続いている。
近年の現地の研究者や日本の研究者の調査報告によると、従来、来世へと旅立った始皇帝を守るべく配された軍隊と思われていたこの大文物群は、それだけでなく、生前の始皇帝の生活そのものを来世に持って行こうとしたものであったようだ。
すなわち、兵馬のみならず宮殿の実物大のレプリカや、文官や芸人等の俑も発掘されたのである。
姫路市の太陽公園では、兵馬俑が秦始皇兵馬俑博物館をそっくりそのまま再現されており、一般公開され本場の兵馬俑をうかがい知ることができる。
』
西安近くにあるのが「華山」。
公式ブログでは、下記に出てきます。
『
http://www.youtube.com/watch?v=XMhQ7A7akTA&feature=player_embedded
』
中国には有名な五山がある。
Wikipediaで見てみる。
『
五岳(ごがく)は中国の道教の聖地である5つの山の総称。
五名山とも呼ばれる。
陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。
* 東岳泰山(山東省泰安市泰山区)
* 南岳衡山(湖南省衡陽市衡山県)
* 中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)
* 西岳華山(陝西省渭南市華陰市)
* 北岳恒山(山西省大同市渾源県)
華山(かざん、ホワシャン ピンイン Huà Shān)は、中国陝西省華陰市にある険しい山。
道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。
最高峰となる南峰の標高は2,160m。
花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。
』
この五山がなぜ有名かというと「封神」儀式の場所となっているからである。
「封神」というのはマンガ「封神演義」で有名になったが、封神とは天子として地上の支配権を認定してもらう儀式をいう。
つまり「天権王授」の儀式にあたる。
これを行うことにより、天子として巷の支配権を握ったということになる。
中国は広いので、そうした儀式のできる山があちこちに5つあるということで、その一つが華山である。
さて、残すところ青島まであと1/3である。
年内には青島に到着予定とのことであり、お正月は福岡で祝うことになるのかもしれない。
● 西安から青島まで
● 花いろいろ