● 東海道五十三次駅伝
[◇ 11月19日]
エボルタは今日、草津に着いたという。
とすれば、あとニ宿、大津と京都である。
ゴールは目前。
順調にいけば二日。
ということは11月21日にはゴールする。
なんと日曜日である。
絶妙なタイミング。
きっと三条大橋は黒山だろう。
今から10年ほど前のこと。
友人が仲間たちと2年ほどかけて「東海道53次駅伝」をやった。
おそらく1999年、2000年、2001年であろう。
みな仕事もちなので時間調整をして、4回にわけて走っている。
その最終回が前稿で突然割り込んできた手紙である。
この稿頭に載せた写真はその手紙から援用したもの。
「箱根駅伝が来る」でも紹介したグループです。
このあと、中仙道を走り、今年は日光街道を走っています。
手紙の一部を。
『
』
● 関宿
[◇ 11月21日]
あれ、今日ゴールのはずだと思って約束通り、ゴール姿をみてやろうとサイトに入ったら、動いていない。
「今日はお休み?」
そんなことどこにも書いていない。
雨なのだろうか。
本当にこの発信スタイルはわからない。
スタッフの自己満足でやっているように思えてならない。
見たいヤツは勝手に見な!
って、ところか。
昨日は大津に着いたところを見て、いよいよ今日だと楽しみにしていたのだが。
出発は明日朝6:00だという。
まあ、あと一日だから。
イヌにションベンかけられることもなく、
ネコにジャレつかれることもなく、
ミミズを轢くこともなく、
石を踏み潰すこともなく、
子どもの三輪車に曳かれることもなく、
小学生のスクーターに蹴飛ばされることもなく、
雨に打たれはしたが、泳ぐまでには至らず、
ときどき歩道橋や信号では空を飛んだが、
なんとかあと一宿まできた。
なかなかの根性である。
[◇ 11月22日]
底意地の悪い連中の手によって「オフライン」のままエボルタは三条大橋にゴールしたらしい。
すべてが「ブチコワシ」だ!
● エボルタ、お前は悪くないよ、よくがんばった。
最後の雄姿を見てやることはアホどものおかげでできなかったが。● 悪いのはガラパゴス退化した上の取り仕切り連中だ。
[◇ 11月27日]
[公式ダイジェストが入ってきた]
『
2010/11/15~11/17
エボルタ 東海道五十三次-道中記:: その15
関-坂下-土山-水口
』
歩いていると京都方面から来た人とすれ違うことがある。
そんなときは、情報交換をする。
どこで泊まれるかということが会話のメインテーマ。
つらいのは街の真ん中ですれちがうとき。
日本の町というのは家が立てこんでいて腰をおろすところがない。
では立っていれば、と思うがこういうときは腰を下ろして休みたい。
しかたがないから空き地を探して数十mから100mほど歩くことになる。
自分の向かっている方向に歩けばいいが、気が弱いせいかだいたい戻りになる。
これ結構つらいのである。
ここまで来たのにまた戻らねばならぬ。
情報は欲しいし、しゃべりたいし。
さらにはまた同じ所を戻って、気をとりなおして出発となる。
わずかな距離なのだが、なにか疲れが倍化する。
「損をした!」という気分が蔓延してくるのである。
それが疲れを呼ぶ。
鈴鹿を越えたあたりであっただろうか、京都からきたウオーカーに会った。
スケジュールを聞いて驚いた。
一日十里40キロで歩いていくという。
ちょっと懐疑的になり、歩くことに慣れているのか、と聞いてみた。
答えは「はじめて」
「ちょっと、無謀じゃない」
と、言ったらスケジュールがとれない、とのこと。
が、である。
靴を脱ぎ、靴下をとると血だらけ。
両足とも。
豆が潰れて血が吹き出していたのである。
「これで行かれるの?」
答えはなかった。
ただ非常に歩くのがきつそうだった。
「大丈夫?」
まだ、2日目の終りにしかならない。
先が思いやられる。
行かれるところまで、ということで本人は妥協するつもりなのであろうが。
冷静に考えると無理。
歩き慣れない素人にとって30キロというのは敷居値。
マラソンと同じ。
人間の体は30kmぐらいから急速にダメージが広がる。
よって八里32キロはちょうどいい線。
これを過ぎると、体がついていかない。
文句をいいはじめる。
過剰なマメであったり、 足のツリであったりする。
が、人間にはとんでもないことが待っていることもある。
無理を無理でやめてしまったら何も残らない。
無理があるから面白いのだ、というのも人生。
無理をしない人生というのは、気の抜けたサイダーみたいなものではあるが。
私にもマメはできた。
左右に2ケづつ。
ただし水ぶくれレベル。
血が出るほどの無理はしない。
指先なら水を抜いて絆創膏で固めればいい。
が、足の裏だと、これやっかい。
まず水を抜いて絆創膏を貼るが、歩くと絆創膏がずれてきてほとんど効果なし。
よって絆創膏の上にぎしぎしに包帯を巻いて、ソウーと靴下を履く。
小一時間もすると、ありがたいことに痛みは感じなくなる。
マメに気を使ったははじめの数日だけ。
固まってしまえば、どうということもない。
東海道旧道を歩くに際して資料を探した。
いまならあっと言う間に、インターネットからダウンロードできる。
その頃、情報というのは本であった。
それも現時点で販売されている本である。
本屋へいって目的に見合う書籍があれば情報取得となるが、でなければ情報なし、ということになる。
よって数軒の本屋を回ることになる。
欲しいのは旧道のルートが出ているもの。
その場その場での名跡旧所などの載っている写真。
そして持ち運びに便利な文庫版程度のもの。
それにぴったり合うような本などありもしない。
当時のこと、写真をふんだんに載せた本などなかった。
でも文章だけでは、この旅ではまるで使い物にならない。
なんとか探し当てたのが社会思想社の現代教養文庫の一冊「東海道***」という本。
53次全編というわけにはいかないが、旧道の要所要所の写真と文が載っている。
この本をバイブルにして歩いたのだが。
この「***」の部分を確認しようと思って社会思想社を調べたら倒産していた。
Wikipediaでは2002年に倒産とある。
この会社の本、じつにいい本がたくさんあって、それもふんだんに写真が載っているものであった。
その頃、写真満載の文庫本など実に珍しかったのである。
ちょっと高かったが。
ちなみに個人的なことをいうと、高校の友達がここに勤めていた。
そこで、週末にここのマツダの軽ライトバンを借り出し伊豆にドライブにいったことがある。
飯田橋近くにあった自転車屋の息子であった。
『
2010/11/18~11/20
エボルタ 東海道五十三次-道中記:: その16
水口-石部-草津-大津
』
草津から大津あたりで3回くらいではないだろうか、天井川というのをくぐる。
川底をくぐるのである。
と言うと、坂を下って川底をくぐり、今度は坂を登って元のレベルに戻る、と思うがそうではない。
道は真平ら。
頭の上に川が流れているのである。
まさに不思議発見である。
イメージとしては、鉄道のガードをくぐることがあるがあれと同じ。
電車の通っているところに川が流れているのである。
これ、どう考えてもおかしい。
その成り立ちをサイトからちょっとコピーしてみます。
『
』
理屈は分かるがこれおかしい。
川底のレベルがどんどん上がっていく。
はじめは周囲の地盤面より下にある。
が、最後の絵ではとなりの人家の屋根ほどになっている。
ということは川底が3mくらい上がったことになる。
だから、川底をくぐることになってしまう。
水は高いところから低いところへ流れる。
とすると、この川の流れは低いところから高いところへ流れることになる。
この状態で水が流れるなら、はじめのときはこの周辺は水没していなければならないはずなのだが。
『
2006.05.10
草津川国道1号線トンネル
http://ahiru-ie.way-nifty.com/s2/2006/05/1_9e0e.html
● 国道1号線が、草津川の下をくぐっているところです
草津川は、典型的天井川で、旧東海道も今はマンポ(トンネル)で川の下をくぐっています。
現在、草津川は新しい河川を流れているので、国道の上に水は流れていません。
ほかにも天井川は大津市にもありました。
』
草津でもうひとつ。
義仲寺。
その名の通り、木曽義仲のお墓のあるところ。
街道に面してたてられた石柱に「義仲寺」と彫られていたのですぐにわかった。
が、木曽義仲はあまり興味の対象でなかったのでそのまま素通り。
後年、この寺で松尾芭蕉がなくなり葬儀が行われ、墓は義仲の墓と並んでいるということを知った。
おそらくバイブル「東海道***」にも書かれていたのであろうと思うが、若き日のこと俳句なんぞにはまるで無関心であった。
いまもおおかたそうだが。
芭蕉もいいが、蕪村の古今調の雅は捨てがたい、程度の知識。
それより幾分、歴史の方が好き。
よって義仲寺が記憶の残ったのであろう。
『
2010/11/22
エボルタ 東海道五十三次-道中記:: その17
大津-三条大橋
』
エボルタが三条大橋にゴールしたのが22日。
今日は27日。
ゴールのニュースは記事で読んだ。
が、ゴールのビデオをみたのは今日が最初。
ゴールから5日目である。
『
2010/11/22
エボルタ 東海道五十三次-道中記:: 三条大橋(セレモニー)
』
「もう一つの東海道53次」、駅伝のゴールは。
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ひどく後味の悪い幕切れで、「エボルタの冒険」は終わった。
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来年のカンペイのゴールはどうだろう。
期待しないほうがいいかもしれないが。
でも、こちらはグローバル・カンパニーのトヨタがスポンサーだから、
「世界へ発信」
という件についてはガラパゴス的ではないだろう。
何しろ「アース:地球」を駆け抜け、世界にお世話になってきたのだから。
パナソニックほどセコくはないだろう。
ここで前もって声を大にして言っておこう。
さすれば、検討対象の項目にリストされるかもしれない。
我が家の車はトヨタのカムリと同じくヤリス(ビッツ)だ。
トヨタさんよ、
「カンペイのゴールシーン」
はインターネットで世界中で受信できるようにリアルタイムできっと放送しろよ。
世界に「感動を配信」しろよ。
トヨタはその責務を負っているはずだ。
セコイことはやるなよ。
テレビ放送に合わせたければ、そのスポンサーとなって番組を買取り、テレビ放送とインターネット配信の同時発信ぐらいはできるはずだ。
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世界のアースマラソン応援団を裏切るなよ!!!!>>
北京中国トヨタの垂れ幕にはこうあった。
『
寛平さん、ぐあんぶあれ!
「わてら」トヨタはアースマラソンを「めっちゃ」応援します「っせ」
』
「インターネット」と表現したら最後、それはすべてインターナショナルになる。
Youtube 発信だろう。
それを理解できないと、パナソニックのようにガラパゴス化するぞ。
裏切ったら、ケチョンケチョンに書くからな。
少々、脅し気味。
[言葉の暴力に気をつけよう!]
● 花いろいろ