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● 1996/06
● 2006/12
1年ほど前になるだろうか。
古本屋でえらく表紙がつるつる白生地のカバーで覆われた本を見つけた。
上と下に金糸の線が入っている。
作者はリリー・フランキーとある。
ということは、翻訳ものであろうかとみてみたが、訳者の名前はない。
「東京タワー」とあったが、「京」の字が少し変わって手が入っていた。
外国作家の書いた東京ホラー物語というのがカバーから受けた印象。
作家が日本人だとすると、フランキーで思い当たるのはフランキー・堺。
リリーとあるから、フランキー堺の娘が書いたホラー作品だろうか。
東京は乾いたホラーになり易い土地柄である。
でも、パラパラとながめてみて、著者欄に目を通すと、フランキー堺とは関係ないらしい。
そして、これが大切なのだが、男のようである。
「リリー」という名の男。
ゲイだろうか。
ゲイが書いた東京ホラーか。
これはありそうな設定である。
まあ、ケバイ表紙だが買っておこうと思った。
自宅に帰って、そのうち読むだろうと本棚に突っ込んだ。
突如、ガガガーン。
何と、その下の欄に同じくケバイ表紙の本「東京タワー」が鎮座していたのである。
何時買ったのだ、この本。
まるで「記憶にございません」
まさに、ゲイ的ホラーである。
この小さい街の古本屋から同じ単行本を2冊も買っている。
なんとも、おどろおどろしている。
古本屋の棚で単行本が2冊あるのを見たのは「アルジャーノンに花束を」と「ハリーポッター 賢者の石」のみ。
文庫本なら赤川次郎もので3冊4冊は同時に並んでいるが、単行本は珍しい。
その珍しい現象として我が部屋の本棚に無意味にも2冊あるのは「東京タワー」。
同じ本を2冊もっていても、倍知的になれるわけでもない。
これはどうも後ろで糸を引く「見えざる手」があるような気になってくる。
「ヨメ!、ヨメ!、ヨメー!」
と脅しをかけられているようなイヤーナ雰囲気。
「えーい、読んでやるよ」
と、しかたなく読んでしまった。
ストーリーは確かにおもしろい。
これ小説か、それとも自伝か。
「肝っ玉カアさん」風でもある。
ストーリーがおもしろいので、これ映画になったり、テレビドラマになったりしている。
一時、評判の作品だったらしい。
ストーリーはさておいて、この作品のきらり光ところは、なんたってところどころにちりばめられたクールに見つめる作者の目。
たとえばこんな風。
『
春になると東京には、掃除機の回転するモーターが次々と吸い込んでいくチリのように、日本の隅々から、若い奴らが吸い集められてくる。
暗闇の細いホースは、夢と未来へ続くトンネル。
転がりながらも胸躍らせて、不安は期待がおさえこむ。
根拠のない可能性に心ひかれる。
そこへ行けば、何か新しい自分意なれる気がして。
しかし、「トンネルを抜けると、そこはゴミ溜めだった」
埃がまって、息もできない。
薄暗く狭い場所。
ぶつかりあってはかき回される。
ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる。
愚鈍にみえる隣の塵も、無能に思える後ろの屑も、輝かしいはずの自分も、ただ同じ、塵、屑、埃。
同じ方向に回され続けるだけ。
ぐるぐるぐるぐる、同じゴミだ。
ほらまた、やってくる。
一秒前、一年前の自分と同じ。
瞳を輝かせた塵、屑、埃。
トンネルの出口からこの場所へ。
ここは掃除機の腹の中。
東京というゴミタメ。
集めて、絞って、固められ、あとはまとめてポイと捨てられる。
こんな時代の若い奴らに、自分自身の心の奥から、熱くたぎり出る目的なんかありはしない。
「夢」という言葉に置き換えて、口にする奴がいたにしても、その「夢」の作り方は、その辺のテレビや雑誌のページをとりあえず、自分のくだらなさに貼り付けただけのもの。
日本の片隅からのこのこやって来た者などに、目的と呼べるものがあるとすれば、それはただ、東京に行くということだけ。
それ以外に、本当は何もない。
東京へ行けば、何かが変わるのだと。
自分の未来が勝手に広がっていくのだと。
そうやって、逃げ込んで来ただけだ。
「貧しさ」は比較があって、目立つもの。
この街で生活保護を受けている家庭、そうでない家庭、社会的状況は違っても、客観的にどちらがゆとりのある暮らしをしているのかもわからない。
金持ちが居なければ、貧乏も存在しない、
東京の大金持ちのような際立った存在がいなければ、あとはドングリの背比べのようなもの。
誰もが食うに困っているでもないなら、必要なものだけあれば貧しくは感じない。
しかし、東京にいると、必要なものだけしか持っていない者は、貧しい者になる。
「必要以上」のものを持って、初めて一般的な庶民であり、「必要過剰」な財を手に入れて、初めて豊かなる者になる。
"貧乏でも満足している人はお金持ち、
それもひじょうな金持ちです。
金持ちでも、いつ貧乏になるかとびくついている人は、「冬枯れ」のようなものです"
「オセロー」の中のこんなセリフも、東京の舞台では平板な言葉にしか聞こえない。
必要以上を持っている東京の住人は、自分のことを「貧しい」と決め込んでいる。
あの町で暮らしていた人々は、金がない、仕事がないと悩んでいたが、自らを「貧しい」と感じていたようには思えない。
「貧しさたる気配」が、そこにはまるで漂っていなかったからである。
搾取する側とされる側、そういう気味の悪い勝ち負けで明確に色分けされた場所で、個性や判断力を埋没させてしまっている自が姿に、貧しさが漂うのである。
必要以上になろうとして、必要以下に映ってしまう、
そこにある東京の多くの姿が貧しく悲しいのである。
「貧しさ」とは美しいものではない。
醜いものでもない。
東京の「見どころのない貧しさ」とは、醜さではなく、「汚」である。
』
東京生まれの東京育ちの私にはきつい一発。
その「東京というゴミタメ」で生まれ育った私は、果たして何者ナンダ!
都会のウジか。
確かにお似合いか。
そういえば、最近東京へいった人が感慨深気にいっていた。
「東京はほんと、きれいになりましたよ、ゴミひとつ落ちていない。
浅草へいったのですが、タバコの吸い殻すらおちていない。
でも仲見世のオヤジは不親切。
買わないとみきわめると、まったくつっけんどになる」
と言っていた。
都会が綺麗になって住めなくなってここに流れてきたのが私かもしれない。
なにしろ、ビール瓶、空き缶、ペットボトル、マックの上袋や紙コップ、タバコの箱が道のあちこちに捨てられている。
ビール瓶など車が通ると割れる。
ガラスの破片が散乱する。
こうなったらお手上げ。
ゴミの街、ゴールドコースト。
ただ、すべてにわたって地面が広く、草の伸びが早いので、目につかないだけ。
それに救われている。
公共の道徳心はゼロ。
膨大な予算で「ゴミ拾い」が雇われている。
いわゆる失業対策。
それも若者が。
なんともったいないことを。
その分税金も高い。
とりあえず朝は、我家の前の緑地と歩道、それに車道際に捨てられているゴミは拾うようにはしているが。
映画東京タワー予告編
『
【MAD】東京タワー×東京へやってきた
http://www.youtube.com/watch?v=nyVf45g-ZHA
』
テレビドラマ
さて、次はナンシー関。
これ間違いなく女、「ナンシー」だからな。
ところがである。
2,3年前に、やはり最初の本を読んだとき、男だと思った。
文体、切り口が男なのである。
三浦しをんを男だと思い続けたように。
読み終わって、ちょっと調べてみて女だと分かった。
「消しゴム版画家」とあるが、これなんだろう。
消しゴムってあの柔らかい消しゴムだよな。
あれ、彫れるの?
今日読み終えたのが2冊目の本になる稿頭の「何もそこまで」である。
もちろん、これはつい最近古本屋で買った本である。
この中でお見事と言えるのは、
「糸井重里 見るのが辛い80年代の亡霊」
だろう。
よっと抜粋で引用しよう。
『
私は、糸井重里がテレビに出ているのを見ると何だか暗い気持ちになる。
テレビのなかの糸井重里は、丁重にもてなすべき意味のゲストであったり、メインになって仕切る人であったりする。
そうやって尊重されていればいる程、見ているのが辛いのである。
誰かが、
「もうおもしろくねえんだよ」
とでも突っ込んでくれたらどんなに気が楽になるだろう。
現在でも本業である広告や、あとファミコン界などでいろいろ「仕事」はしている事と思う。
しかし、今、糸井重里がよくテレビにでる理由は(ここ1~2年、糸井重里はテレビ復帰と言ってもいいくらい、テレビによく出る)、ありがちな「各方面で最近御活躍」というところにはない。
もう理由などなくてもテレビに出ていい、という人になっているのである。
*****という理由を使わなくてもいいテレビ出演が徐々に増えてきていることは「成長」だ。
しかし、糸井重里にそういう「成長」によって、現在の「理由なきテレビ出演」に至ったとは思えない。
本人に「成長」する気があったとは思えないし、また「成長」感を与えるに至る不可欠な(視聴者の)慣れを植えつけるほど熱心にテレビに出続けていた訳でもない。
糸井重里がテレビで尊重されている大きな理由のひとつに
「80年代を捨てきれない大人になったヘンタイよいこ」
というのがある気がする。
私が複雑に暗い気持ちになるのは、この構造のせいだ。
私は『ビックリハウス』も読んでいたし(投稿経験もアリ)、「萬流コピー塾」も読んでいたし(投稿経験もアリ)、『広告批評』主催の「広告学校」に通ったこともある。
どれも80年代初頭、20歳の頃の事である。
その頃の青い自我の全ては
「イトイ的なカンジ」
に集約される。
そして現在、私は30歳を超え、しかしテレビには十数年前と変わらない80年代な糸井重里が、その80年代なままで尊重されながらいるのである。
「否定」という言葉を使うほど、積極的に過去を拒否するのも大人気ないけど、でも自分の過去を全部肯定する必要もないと思う。
「若気の至り」という弁解の仕方だってあるのに。
「イトイ的なカンジ」にひかれた子どももが、現代30代なかばになり、「あの、イトイさんと」の思いを遂げているその結果が、
「糸井重里よくテレビに出てる」
ではないのか。
その「恩義」は「おもしろくない」ということを差し置いてまで優先させるほどのものなのか。
(1995年4月)
』
その彼女、40歳を目前にして亡くなってしまった(2002年6月)。
倒れたその日組まれていた対談がリリー・フランキーとのものだという。
そこでビデオを。
『
ナンシー関の部屋
http://www.youtube.com/watch?v=4tXKEG9C44E
』
2008年11月25日に青森市で開催された「ナンシー関展」の様子のビデオを。
『
ナンシー関展
http://www.youtube.com/watch?v=sr0KRqM-cH4
』
ビデオを見ると「消しゴム版画」なるものがいかなるものか分かってくる。
それを本にしたのが販売されている。
「Amazon.co.jp」より
『
「ナンシー関 消しゴム版画 [大型本]」
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%BC%E9%96%A2-%E6%B6%88%E3%81%97%E3%82%B4%E3%83%A0%E7%89%88%E7%94%BB/dp/4840108684
カスタマーレビュー:
ムック「笑芸人」にナンシー関の追悼小特集が出たのを記憶していたから、調べてみると2002年秋号(第8号)であった。
もうとっくに一周忌を過ぎたんだ、と思う。
そこでこの集大成本である。彼女の才能の大きさが余すところなく開陳されていて、永久保存版に相応しい。
これだけの力をもち、これだけの有名人の版画を世に出していながら、なぜ世間の知名度が必ずしも高くなかったのか、不思議である。
彼女自身がそれを望まなかったのか、風貌がphotogenicでなかったせいなのか。
あるいはまた、彼女の優れた作品が、ともすればコラムの埋め草のように使われたことも、彼女と彼女の作品にとって幸福ではなかったかもしれない。
だから本書が刊行された価値は大きい。
彼女は正当に再評価されるべきである。
ところで、35ページの作品は、私には「林家小さん」でも「柳家小さん」でもなく、「柳家金悟楼」にみえるのですが、みなさんいかがでしょうか?
』
● 花いろいろ