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● カンペイ、中国初ゴール
カンペイがトルクメニスタン砂漠に帰還したのが6月18日。
そして2カ月と1週間かけて「スタン3国」を抜けた。
『
● カンペイ、カザフスタン出国ゲートで
2010.08.25 19:10 [DAY617]
カザフスタン出国ゲート!
出国待ちのトラック渋滞3kmをよそに、順調に走る寛平さん。
中国入国を控え、テンションが上がって、いつもよりもハイペースで走っています。
そして遂にカザフスタン出国ゲートに到着しました。
寛平さん「痒うて痒うてしゃーないわ! 、こっちのエスキモーは最初に毒出してから血吸うんやな、、。」
ブーヤン「………何で民族?モスキートですよね。」
寛平さん「(失笑)ごめん、、、なんでエスキモーって言うたんやろ、、、。」
これで本当にカザフスタンともお別れだというのに、最後の最後まで寛平さんはマイペースと言うか、ジャニーさんやワレラのおっさんを笑わしてくれます。
同行スタッフより
みなさんお待たせしました。
インターネット環境を確保するのに3〜4時間かかってしまいましたが、何とか確保する事が出来ました。
これから寛平さんが中国入国を果たすまでのブログを更新するので、お楽しみに!!&少々お待ちを。
』
さてさて、カンペイはがついに最後の訪問国、中国に入りました。
公式ブログを見てみます。
『
2010.08.25 19:30 [DAY617]
617日目、ゴール!
午後2時11分(日本時間午後3時11分、カザフスタン時間午後12時11分)、遂に最後の国“中国”入国です!!
日本で交渉していた事が現場まで伝わっていなかったり、 または拒否されたりもしましたが、
カザフスタン〜中国間の中立地帯を無事というか、
“世界初のRUN”
をする事が出来ました。
これでまた、アースマラソンが1本の道として続きます。
移動距離 25.1km
所要時間 6時27分
総移動距離 34852.5km
寛平さん「中国!ここで本日はゴール!!」
本日は、出入国に手間取り、また、精神的にかなり疲れたので、中国入国して直ぐにゴールとしました。
また、車の中の荷物整理も出来ていないし、連日のRUN&出入国での疲れが溜まっているので、 明日はお休みとさせて頂きます。
1日休養日を取り、リフレッシュして最後の国“中国”を走ります。
果たして中国はどんな景色や文化を寛平さんに見せてくれるのでしょうか?
同行スタッフより
本日の動画クリップですが、税関職員などに撮影を禁止されるまで撮っていたので、カザフスタン〜中国間のRUN及び出入国の模様をたっぷりお伝えできると思います。
お楽しみに!!
● 出入国のために4回、おろして積み込んだという荷物の山
』
ビデオは下。
『
遂に中国入国!!!アースマラソン18カ国目、そして最後の国に入りました!
2010.08.25 19:30 UPDATE
http://www.youtube.com/watch?v=DkGXK-920EI&feature=player_embedded#!
』
中国となればグーッと心理的に近くなってくる。
下は2世紀ごろのシルクロードの地図。
この地図本、ご存知の方も多いと思いますが、吉川弘文館の「世界史地図」。
勉学や受験などで使われたすこぶる評判の地図帳。
といっても、歴史関係の本を読むときのために買い直したもので、受験時代のものではない。
ちなみに、この本「ソヴィエト連邦」である。
● 拡大図:赤線がシルクロード
カンペイは、上の地図の左中ごろから右に通じている赤線のシルクロードをたどっている。
カスピ海の下あたりを通りパルチア王国(現;イラン)を抜けて、康居というのがウズベキスタンにあたる。
大宛を抜けて小さな湖(イジク湖)の下を通っています。 アースマラソンに出ているグーグル地図をたどってみるとこの湖が見えます。 この湖はキルギスタン領内にあり、現在のルートは湖の上側(北側)を走っています。
この先でチベット(西域:中国)に入ります。
右はしの中頃に敦煌と記載されています。
「敦煌」が地図に出てくると俄然、親近感が沸いてきます。
「楼蘭」も出てきます。
敦煌・楼蘭といえば井上靖の小説にして、敦煌は超大作映画となる。
もうこうなると小説の世界、西遊記、三国志、水滸伝。
史書なら史記、漢書、資治通鑑とおもしろさに事欠かない。
ちょとばかり知識のある中国4千年の歴史ということになる。
カンペイは、このシルクロードを通って長安(現:西安)、洛陽を通って青島まで走る。
歴史の濃厚な街街を抜けて行くことになる。
● 右端に青島(チンタオ)が見える
上の地図だと左端のタジキスタンの「アルマテイ」の先で中国に入り、右端の「チンタオ(青島)」までになる。
クリックして大きくして辿ってみてください、この間のルートが把握できます。
● 現代地図:左側上から入って右側中の青島まで
二本足での中国横断の記録については知らない。
おそらく古来からたくさんの人が歩いた道であろうと思うのだが。
近年における正式な記録はどうであろうか。
共産党政権における自由な国内の行き来が禁止されていた時期が長かったので、もしかしたら公式記録としてはカンペイが最初かもしれない。
後年、「カンペイ中国横断マラソン」なんていうタイトルで競技が行われるかもしれない。
「孫基禎ベルリンマラソン」が今年開催されるように。
「アメリカ大陸横断マラソン」の記録は古い。
「遥かなるセントラルパーク(文春文庫)」という小説を読むとわかる。
あるいは以前に述べた「オーストラリア大陸一周マラソン」というのも記録がある。
これは10年くらい毎に記録が短縮されている。
なを、タスマニア往復は飛行機で、ヨットではない。
ちなみに「シベリア横断マラソン」という記録がある。
貝畑和子さんという方で、そのとき51歳だったそうである。 サイトは下記になります。
『
シベリア横断マラソン
http://www1.zero.kotonet.com/~norikazu/juihituq6.htm
』
下の地図ではサンクトペデルスブルグからウラジオストックまでをコピーしてあります。 「サンクトペデルスブルグを出発して7ヵ月後ウラジオストックに到着した」
とあります。 地図でわかるように距離的には中国横断の倍近くあるので、7カ月というのもうなずけます。 まさにロシアの端から端まで横断という距離になる。
この中に日付けが書いてありますが、これは「モスクワ発ウラジオストック行」のシベリア横断鉄道到着時刻です。
モスクワを「14:00」に出発した鉄道は、7日後の「16:05」にウラジオストックに着くことになります。
● シベリア横断&中国横断全図
「青島」という場所は黄海を挟んでソウルの対岸にあたります。
青島というのにはちょっとした思い出があります。
小さいころ切手集めが流行っていました。
その中にこの名前が出てきました。
記念切手ではありません、通常切手です。
その切手に印刷されていた文字をいまでも憶えています。
「青島陥落」
切手は全体に青っぽいもの、その上に黒々としたインクで摺り込んでありました。
青島とはなんぞや?
もちろん、私の時代のことではありません。
オバアチャンからもらった切手です。
Wikipediaで青島陥落を見てみました。『
青島の戦い(ちんたおのたたかい, Battle of Tsingtao, 1914年10月31日 - 11月7日)
第一次世界大戦中の1914年(大正3年)に、ドイツ帝国の東アジアの拠点青島を日本・イギリス連合軍が攻略した戦闘である。
1914年10月31日、「神尾の慎重作戦」と揶揄される程に周到な準備の上で神尾光臣中将(後に大将)指揮する第18師団(約29,000名)と第二艦隊は攻撃を開始した。
ドイツ軍兵力は約4,300名であった。
11月7日午前6時30分、ドイツ軍は白旗を掲げ、午前9時20分にドイツ側軍使のルードヴィヒ・ザークセル大佐とカイゼル少佐が日本側軍使の香椎浩平少佐に降伏状を届ける。
11月7日午後7時50分に両軍は青島開城規約書に調印し、青島要塞は陥落した。
● 若宮に搭載されて運用された2機のモーリス・ファルマン式水上機
● 初の水上機母艦である若宮
● ドイツ帝国海軍水雷艇「S 90」
』
● 青島陥落を伝える8日付の東京日日新聞
つまり、青島陥落とは今から「96年前」つまり約1世紀も昔の話になるわけである。
よって、好事家しかしらない歴史のことになる。
ちなみに敵は、なんとドイツ。
日本がドイツと戦ったなんてちょっと意外。
やはりもっとも近い「青島」はこれでしょう。
「青島ダー!」
その青島にカンペイがたどりつくのは、来年1月末くらいだろうか。
とするとあと「120日」ほど。
あと一国。
カンペイ、体は大丈夫か?
心理的には楽になってきただろう。
もう少し、体にムチ打っても走り切らねばならぬ、という心境。
中国に入れば大勢の応援団がカンペイと走りたい、アースマラソンを観たいと、中国に渡って来る。
その応対でカンペイも大変になる。
でもそれが終末を向かえる心の準備にもなる。
「青島まで」走れれば、体調不良の時は、一気に大阪までヨットという手もある。
本来は鹿児島から大阪まで走る予定ではあるが。
一番はじめに見つけた新聞ニュース。
『
スポーツ報知 2010年8月26日11時03分
http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/gossip/entertainment/news/20100826-OHO1T00090.htm
間寛平、最後の国・中国に突入…アースマラソン
前立腺がんと闘いながらマラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦中のお笑いタレント・間寛平(61)が25日、カザフスタンから18カ国目となる中国に入国。
2008年12月17日に大阪を出発して617日目で、いよいよ最後の国に突入した。
スタートからの累計距離は3万4,852キロ。寛平は
「中国に走って入るの、めっちゃ大変でした。これからが本当に勝負です。日本までもうすぐや! 待っといてー!!」
などとコメントを寄せた。
今後は青島まで約4カ月かけて走り、来年1月中のゴールを目指す。
』
さて、中国横断。
カンペイはどんなパフォーマンスを見せてくれるだろうか。
終着まで追いかけていきたいと思うのだが。
[◆ 追 ◆]
中国に入って最初のランの様子です。
中国での基本的な走り方が載っています。
『
2010.08.27 18:31 [DAY619]
619日目、ゴール!
午後4時23分(日本時間午後5時23分)気温28℃
休養日明けの本日は、またまた大台突破です。
寛平さんは中国でのRUNで、いくつかの目標設定を作りました。
①:基本的には6走1休で進む。
②:6走中2回は大台の50kmを目指す。
③:残りの4走は45kmペースで走る。
以上の3点です。
とは言え、中国では宿泊施設を思ったように確保出来なかったりするので、そこは臨機応変に走るそうです。
移動距離 50.0km
所要時間 8時48分
総移動距離 44902.5km
http://www.youtube.com/watch?v=vhi-Y64g_hE&feature=channel
http://www.youtube.com/watch?v=vhi-Y64g_hE&feature=youtube_gdata_player
』
[◆ 追 ◆]
『
テレ朝news 2010年8月29日
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/geinou/geinou_news/contents/hot_20100829_160.html
寛平、日本上陸地が決定!目標は来年1月
マラソンとヨットで世界一周するアースマラソンに挑戦中のタレント間寛平(61)の2年ぶりの日本上陸が福岡に決定した。
アースマラソン製作委員会が29 日、発表したもので、来年1月に福岡市西区にある「西福岡マリーナマリノア」に到着する予定だという。
寛平は同製作委員会を通じて
「ほんま2年ぶり、めっちゃ久しぶりです。福岡に着くのは楽しみです。着いたら、とんこつラーメン食べたい。高菜入れすぎやっ!ってほど入れて食べたいわ!」
とコメント。
寛平は25日にカザフスタンから最後の国となる中国に入り、現在は青島を目指して走破中。
2008年12月に大阪から始まったアースマラソンは、太平洋を横断して米国、フランス、ベルギーなどを通過してきた。
10年1月には前立腺がんを公表し、4月からは治療のため一時中断も。
寛平は
「今は日本の土地にちょっとでも早く着きたい気持ちがいっぱいで毎日走っています」
とはやる気持ちを抑えきれない様子だ。
』
上は昨日のニュース(8月29日)。
当初予定の鹿児島上陸は見送られ、福岡上陸ということになったようです。
よって九州縦断は幻となりました。
いろいろ事情があるのでしょう。
直接、大阪までヨットということはないようですが、でも症状次第ではという一抹の不安も残っています。
● 花いろいろ