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● 2010.12.27 19:00 [DAY741]
14669.5km!ユーラシア大陸を青島で
ゴーーーーール!!!!!!!!!!!
[注:
昨夜のインターネットには、下記のビデオと26日の日記が載っていた。
ビデオは一日遅れで公開されているので、日記とは時間的に一致しない。
ここでは、それを修正しながら載せている。
今夜の日記には青島到着の報が載り、明日の晩にはそのビデオが公開されることになると思われる。]
● ついにユーラシア大陸東端「青島57km」の看板が!
『
2010.12.25 19:30 [DAY739]
http://www.earth-marathon.com/2010/12/25/
739日目、ゴール!
午後4時46分(日本時間午後5時46分) 気温マイナス2℃
ホウリュウさんの「チンタオ!」、みんなの「チャーユー!」のコール。
17日ぶりの大台50キロを「ありがとぉおー!!」でフィニッシュ!
寛平さん「看板が出てくれたら安心やったんやけど、中々出えへんし気合い入れて50キロぐらい行こうかって・・・気合い入れて来たら42で出ました〜
ありがとうございます、本当に皆さん「青島」の看板中々出てきませんでした。
すみません、まだかまだかと待たせてしまって、ごめんなさい・・・チュッ!」
移動距離 50.0km
所要時間 8時間02分
総移動距離 39367.0km
>>>>>>>
遂に見えた「青島」の文字!!!待ちに待っただけの感動もひとしおです!!
』
<< 青島まで、あと50キロ >>
『
2010.12.26 18:00 [DAY740]
http://www.earth-marathon.com/2010/12/26/
740日目、ゴール!
午後2時58分(日本時間午後3時58分) 気温3℃
昼ごはんを抜いての力走、寛平さん「明日ラストー!」と本日は35キロでゴール!
最後はひざに手をついて「お〜〜!」とかなりお疲れの様子。
土屋さん「アメリカも長かったけど、中国もっと長かった?」
寛平さん「アメリカの方が距離的には長かったですけど、でも凄いやられましたよね埃とか、寒さに」
土屋さん「中国の印象はどうですか?」
寛平さん「思っていた以上にやさしいですね・・・土屋さんみたいな人が多いって事で・・・」
生沼さん「意外とやさしい・・・」 「意外と・・・」
現場も賑やかになってきて相変わらず笑いで満ちてます。
移動距離 35.0km
所要時間 5時間29分
総移動距離 39402.0km
明日で寛平さんが遂にユーラシア大陸を走破する予定です。
皆様の応援を宜しくお願いします!
』
<< 青島まで、あと15キロ >>
2010年12月27日
ついに、青島到着! ユーラシア大陸走破!
『
2010.12.27 19:00 [DAY741]
http://www.earth-marathon.com/2010/12/27/190007.html
12月27日午後3時45分(現地時間)
たくさんの青島在住日本人の皆さんの声援の中
中国、青島のヨットハーバーに寛平さんはゴールしました!
昨年2009年8月22日、フランス・ルアーブルを出発して493日目、14669.5キロを走り抜きました。
通過した国は
フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、デンマーク、チェコ、スロバキア、ハンガリー、セルビア、ブルガリア、トルコ、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、カザフスタン、中国と16カ国に渡りました。
トルコで前立腺ガンが発見され、約2ヶ月中断してサンフランシスコで治療にあたると言うこともありました。
走っているときの気温差はトルコ東部でのマイナス18度に対しトルクメニスタンのプラス54度と実に72度の気温差の中を寛平さんは60㎝の歩幅で進み続けました。
寛平さん「本当にブログやツイッターやそして駆けつけてくれた人たちの応援で走り切ることができました!本当に本当にありがとう!」
青島出発は天候の具合によりますが31日か1日の出港を予定しています。
そして1月4日の朝の福岡上陸を目指します!
本日の移動距離 18.8キロ
所要時間 2時間59分
総移動距離 39420.8キロ
』
カンペイさん、おめでとうございます。
心よりお喜びを申し上げます。
つつがなく、大阪へもどられんことを期待しております。
[◇ 12月28日]
いつもなら、夜に入ってくるビデオが早朝に入ってきました。
青島ゴールフィニッシュの動画です。
スタッフもいろいろ心使いをしてくれているようです。
『
2010.12.27 19:00 [DAY741]
Day741 EURASIAN CONTINENT CROSSING!!
http://www.youtube.com/watch?v=Uh3YL6_u0V8&feature=player_embedded
』
ゴールシーンをもう一度。
『
2010.12.28 03:20 [DAY742]
ユーラシア横断達成記念グッズ!
先日寛平さんが着ていた、この『ユーラシア大陸横断記念Tシャツ。
今日の無事のゴールを受けて、今夜より販売開始となりました!
途中、どんな予期せぬことが起きようとも、
一歩一歩前進してきた寛平さん。
その偉業を祝う、真赤なTシャツ、
そして、その壮大なスケールを表すように作られた記念バスタオルの完成です!
■ユーラシア横断達成記念Tシャツ(size: S/M/L) 各2,940円(税込)
■ユーラシア横断達成記念バスタオル(size: H120×W60cm) 2,100円(税込)
http://www.ntvshop.jp/410/p/c/ckanpei/
』
[◇ 予定]
『
2010年12月28日11時47分 スポーツ報知
http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/gossip/entertainment/news/20101228-OHO1T00078.htm
寛平ユーラシア大陸完走!中国・青島に到着
マラソン&ヨットでの世界一周プロジェクト「アースマラソン」に挑戦中のお笑いタレント・間寛平(61)が27日、ユーラシア大陸の最終地点、中国・青島に到着した。
薄曇りの空の下、寛平は日中の国旗を手に大陸横断のゴールテープを切った。昨年8月17日のヨーロッパ上陸から497日。今年4月から前立腺がんの治療による約2か月間の中断を経て、世界最大の大陸の16か国を走り抜いた。
「今朝はスタートの時から、なんか分からないけど涙が出てきた。本当にみなさんのおかげです」。スタート地点・大阪からの総移動距離は3万9420.8キロとなった。
日中関係、朝鮮半島情勢などで緊迫する黄海を渡航するため、ヨットはこれまでより一回り大きい「時愛喜(ときめき)号」を用意。
数日間の準備の後、年内にヨットで日本へ向けて出航。
来月4日に福岡に上陸。
その後は約620キロを18日間で走り、同21日にゴール地点・大阪を目指す。
同日には札幌、名古屋、広島、福岡でゴール記念ライブも決定。
全国各地からの声援を受け、感動のフィナーレを迎える。
』
[◇ アースマラソン主な軌跡(日付は日本時間)]
▽2008年
12月17日 大阪・なんばグランド花月(NGK)をスタート
▽2009年
1月1日 千葉・鴨川からヨットで太平洋横断開始
3月11日 米ロサンゼルスに上陸
7月9日 米ニューヨークに到着
7月28日 大西洋上で地球半周を達成(NGKの裏にあたる北緯38度42分・西経44度30分地点を通過)
8月17日 仏ルアーブル港に上陸
11月26日 セルビアで車上荒らしに遭う
12月14日 トルコ・イスタンブールのボスポラス海峡を横断してアジア入り
12月31日 トルコ・アンカラ郊外で陸路(ラン)1万kmを達成
▽2010年
1月13日 前立腺がんを公表
1月31日 トルコ・アラジャアットレで総移動距離3万km(陸路1万602.9km、海路1万9397.1km)を突破
4月15日 放射線治療のためアースマラソン一時中断を発表
6月19日 トルクメニスタンからランを再開
8月9日 誤ってキルギスへ不法入国し、一時拘束される
8月25日 最後の国・中国へ入国
9月22日 当初想定していたゴールまでの総移動距離3万6000キロを突破
12月27日 ユーラシア大陸走破
▽2011年(予定)
1月4日 福岡から日本上陸
1月21日 大阪城音楽堂でゴール
● 花いろいろ
今日のニュースにもう一つ、
「マラソンの世界記録」
が載っていました。
コピーしておきます。
『25today.com スポーツ - 2010年12月27日
http://www.25today.com/news/2010/12/vic5252.php
52週間に52回出場
マラソンマン、世界記録で凱旋
12月27日昼、メルボルンのトリスタン・ミラーさんは、メルボルンのアルバート・パーク・レークのゴール・ラインを踏み、支援の人々から英雄凱旋の歓呼を受けて世界記録を達成した。
6年前、ミラーさんは離婚をきっかけにマラソンに熱を入れ始めた。
しかし、1年前、世界金融危機のさなかに勤めていたグーグルがメルボルン支社を閉鎖したのをきっかけに、すべての家財を売り払って$120,000の資金を作り、1年間52週間で52回、世界のどこかのマラソンに出場するというまだ誰も達成したことのない記録への挑戦に乗り出した。
走った国は合計42か国、先週には南極での「アイス・マラソン」に35人の出場者に混じって走ってきたばかり。
これまでの最高記録はベルリンでの3時間3分。
蒙古での100kmウルトラ・マラソンでは2着でゴール・インした。
AAPがマラソン出場世界記録挑戦の動機を尋ねたところ、
「結婚も破綻し、仕事も失った後、何もしがらみがなくなった後、世界を見てみようと思い立ち、それなら記録に挑戦してみよう。できるかどうか分からないが、やってみることが重要だと思った」
と語っている。
しかし、たいがいの人は1回のマラソンでさえ難しいが、毎週1回1年間というのははるかに困難。
それでも、ミラーさんは、
「出場手配の方がはるかに難しかった」
と語る。
ある時、コスタ・リカに到着してから、そこでのマラソンが中止になっていたことを知った。
フェースブックで助けを求めたところ、アルゼンチンの男性が、メキシコで間もなくマラソンがあると教えてくれたので、あわててメキシコに飛び、他の選手の車に同乗してマラソン会場に駆けつけたこともある。
南極や蒙古でのマラソンに出場する時間をつくるため、2日間に2回続けて出場したことも何度かある。
しかし、苦しいことばかりではなかった。
ガールフレンドを見つけたし、世界各地で大勢の人に出会い、その人達は、ミラーさんに勇気づけられたと語っている。
一番印象に残ったマラソンはという質問に、ミラーさんは、
「ニューヨーク。あそこではオーストラリアのマラソン友達と出会って一緒に走った。ニューヨークの町はまるでステロイドの町だ。200万人の観衆が、走れ走れと歓声をおくるのだからいやでも走り続けなければならない」
と語っている。
ミラーさんは、この快挙を通じて、UNICEFとフェーシング・アフリカのために$15,000の募金を集めた。(AAP)
』