2010年6月20日日曜日

カンペイ、トルクメニスタン砂漠に帰還す

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● カンペイ、アースマラソン再スタート



 野口さんのカザフスタン砂漠への帰還。
 「はやぶさ」のウーメラ砂漠への帰還。
 そして、カンペイがトルクメニスタン砂漠に帰還しました。
 アース・マラソンが再スタートしました。
 ダイジョウブなんでしょうか。

 放射線治療といえども完治したわけではなく、一時的にガンをおさえ込んでいるだけ。
 よってガン細胞は後日また増殖をしはじめるはずである。
 そうしたらまた治療にかからねばならぬ。
 次の治療にあたったときは、もう帰還は叶わぬと思わねばならない。
 走れなくなる可能性も大きい。
 その前にアースマラソンを完走しておきたいというのが、カンペイの希望だろう。
 よって若干の無理は承知の上ということ。
 なにしろ時間との闘いに入っている。
 おそらくこれが最後の勝負

 個人的なことを言えば、姉はガンで亡くなった。
 今の私と同じ歳に。
 ガンの治療は煎じ詰めるところ一つしかない。
 早期に発見し、完全に除去してしまうこと。
 つまりはるか昔と同じく、単純な物理的治療法しか今のところ手がないということ。
 さほどに、ガンは強烈。
 化学治療は、あくまでもいっときの治療に過ぎない。
 早期発見を逃したら、ガンとの共存生活がはじまる。
 ガンは抗体が強い。
 以後の物理治療・化学治療に対してさまざまな変化をして生き延び増殖し、そして体を蝕む。
 切り札としては、遺伝子治療しかないないというのが現状だろうが、これについてはいまのところ見通しはたっていない。
 ガンは死との共存生活でもある。
 「死」というもに腹をくくらないといけない。
 
 おそらく、来年3月までが勝負。
 いまのカンペイは、
 「死にもの狂い
である。
 次にガンが増殖したら、おさえ込めるかもしれないが、でも走るというわけにはいかないだろう。
 「天」が「運」がカンペイに微笑みますように。


[earth-marathon-blog:03187]  再スタート!
6月18日 DAY549 午後9時5分(日本時間午前1時5分) 気温39℃
http://www.flickr.com/photos/earthmarathon/4713543226/

549日目、スタート!

 イランとトルクメニスタンの国境に程近い“SERAGT(セラート)地方”の、
 マーキングポイントより、寛平さんは再スタートしました。

 日中の50℃の中を走る事は出来ないので、
 こんな日没後の夜からのスタートとなりました。

 足に関しては相変わらず「痛い」と言ってはいるものの、
 寛平さんの気持ちの中では、とにかく一歩でも前へ進みたいというのが大きいようです。

 お待たせしました。
 2ヶ月間応援してくれた皆さんのために、
 そして日本で待っている皆さんのために、
 なによりも自分自身のために、
 寛平さんは再び走り始めました。




[earth-marathon-blog:03190]  549日目、ゴール!
http://www.flickr.com/photos/earthmarathon/4713570722/

549日目、ゴール!

 行き交う車の危険や、夜でも灼熱のトルクメニスタン、そんな中、久しぶりのRUNも無事にゴールしました。
 寛平さん「トルクメニスタンのRUNはホンマにしんどいわ!」
 足もかなり痛いようですが、ホテルまでは300km以上離れているので、とりあえずこの後夕食を取り、野宿します。



スタート  現地時間6月18日(金)21:05(日本時間19日(土)1:35)
ゴール   現地時間6月19日(土) 0:38(日本時間19日(土)5:08)
走行距離 20.5km
累計距離 32532.5km


 ビデオがあります。
 Tシャツの後ろには「前進」と書いてある。
 悲願だろう。
 走り終わって「足が痛い、痛い」といっている。
 そして、再スタート初日から野宿。
 この夜中、ホテルは開いていないし、それに翌朝早くの出発とすると、そうせざるしかないのだろう。
 何か波乱に飛んだ幕開けである。



ビデオ Day549 RESTART!!
http://www.youtube.com/watch?v=6duQRJChEJc&feature=youtube_gdata 



 以前にオーストラリア一周マラソンに挑んで、過去の記録を塗り替えたランナーのドキメンタリーがあった。
 十分なスポンサーなどないので、家族のキャラバンカーがサポートについており、常時の宿泊はこのキャラバンであった。
 キャラバンで大陸一周する人は多い。
 リタイヤしたら、キャラバンを引いて大陸をとめどもなくさ迷うのが、オーストラリアンの夢とも聞いた。
 そのため、早めのリタイアを誰もが希望している。
 50歳になったら、さっさと仕事をやめ、4WDにキャラバンカーをつなげて、旅出する。
 でも昨今のガソリン代の高騰は、その夢を壊し始めている。
 長年のことで、ここのキャラバンカーは実によくできている。

 それと比較すると、トルクメニスタン砂漠の野宿というのはきついだろう。
 しみじみそう思っている。
 カンペイは必死である
 名前ではないが、「生と死の間で」走らねばならぬ。



[◇]
 

テレ朝news (06/20 09:39)
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/geinou/geinou_news/contents/hot_20100620_050.html


 前立せんがんの治療のため「アースマラソン」を中断していたお笑いタレントの間寛平(60)が現地時間18日夜、トルクメニスタンから再び走り始めた。
 65日ぶりの再開。午後9時5分、気温39度の中、少し緊張の面持ちでスタート。
 治療前に比べると時速は2キロ程落ちたが、3時間33分で練習の倍の 20.5kmを無事走り切った。
 再スタート初日を無事終えた寛平は、「足がめちゃめちゃ痛くて…でも走れたから…」と疲れを隠せない様子。
 「今までみたいにはいかないんですけど、進めたということでホッとしている」と話し、応援するファンに「本当にみなさん、ありがとうございます。(足は)動きます!大丈夫です!」
と気丈にメッセージを送った。治療でのブランクを物ともせず、マラソンの開始当初と変わらず2011年春までの日本到着を目指す。
 寛平は、今年 1月にがんを公表。
 4月15日にマラソンを一時中断して、米サンフランシスコで放射線治療を受けていた。




公式ブログ 2010.06.20 [DAY551]
http://www.earth-marathon.com/2010/06/20/083006.html
550日目、ゴール!



 気温がかなり上がってきたので、これからは、木陰で午後7時位まで休憩です。
 昼食も食べれない程、バテバテの寛平さん!
 とにかく水をたくさん飲みながら、睡眠を取って、少しでも体力の回復を目指します。
 その後、食事を取りRUN再開なのですが、、、、。
 太陽の動きで木陰の位置も変わるので、その都度起きて直して寝ます。
 トルクメニスタンの砂漠、かなり手ごわいです。




 本日も深夜0時越えでゴールです。
 「あともうちょい、あそこまで」と何度も言いながら、
 後半のRUNは20kmも軽く超えて走りました。
 走行距離 40.4km(前半16.4km 後半24.0km)
 所要時間 7時間39分(前半3時間13分 後半4時間26分)
 総移動距離 32,572.9km
 寛平さん「もの凄いハエに集られてるわ、俺は腐りかけか!それともク○か!!」
 いろいろな条件がRUNに剥いていないにもかかわらず、かなり前へ進みました。


 翌日は、40キロ走っている。
 体力は戻ってきているようである。
 ちょっと、ホッツとしている。
 が、はじめの1週間くらいは無理せず、うちわで収め体慣らしをする必要があるのではないだろうか。
 気持ちは分かるが、チョット、気がせいているように思える。

 向こう1週間は野宿が続くという。
 日中の気温は50度。
 よって40度になると走り始める。
 そしてついに「さいならオジサン」の言っていたサソリが出現する。
 ではその野宿とは、砂漠とは。


ビデオ 2010年06月20日 [Day550]
http://www.youtube.com/watch?v=RDyulitsZ38&feature=youtube_gdata


 が、あまりのすごさについに野宿を回避することになる。
 1時間半かけて、ホテルに退避となったようです。
 決して楽ではない船出である。





● 花いろいろ